聖火ランナー

高校教諭――石川町 冨田弘二さん(43歳)
 東京オリンピックが開催されたのは昭和三十九年十月。当時、私は水戸工業高校の三年生で陸上部のキャプテンをしていました。幸運にも私が聖火ランナーに選出されたのは、中長距離の県記録保持者だったからだと思います。
 当日、私は五〇号沿いにある伊勢甚百貨店前から市役所(現在は京成ホテル)までの約一五〇〇メートルを白バイに先導されながら走りました。随行者は二十名くらい、見物人は十万人にも達したといわれています。とにかく今では考えられないほど、ビルの上から通りまで黒山の人で埋めつくされ、活気に満ちていました。試合のときに抱く緊張感というより、無事に大役を果たしたいという責任感の方が強かったように思います。
 小学校まで長距離が苦手だった私が聖火ランナーになれたのは、「とにかく負けたくない」一心で、通学時、昼休み、放課後とひたすら走り続けた努力の結果だと思っています。