主婦――文京町 寺門美津子さん(59歳)
慰問隊が歌ってくれた「浜べの歌」や「宵待草」を思い出すと、今でも熱いものが込みあげてきます。当時、大成高等女学校の生徒だった私は、勤労奉仕の名のもと三年生の四月から勝田市の兵器製作所へ通うことになりました。セーラー服から一変してかすりのモンペ姿となり、胸には名札、左肩には「学徒報告隊」といった名札を付け、新しい学生時代が始まりました。
そこでの私の主な作業は、高射砲の砲身にヤスリをかける仕事。作業中に空襲警報が鳴れば、それらの工具をかついで裏山に避難するという訓練もありました。そしてそのころの唯一の楽しみといったら、昼休みに工場の片隅で友達と軍歌やラジオ歌謡を口ずさむことでした。
とにかく自分なりに精一杯送った青春時代……。終戦の日はちょうど工場が休みで、家の柱にしがみついて涙を流したことを覚えています。