戦時下の学校

地方公務員――上国井町 薗部平四郎さん(54歳)
 「欲しがりません、勝つまでは」を合言葉に心身の鍛練に励んだ私の少年時代。戦時中は、日の丸の小旗を片手に毎朝、出征兵を村はずれまで見送りに行くことが日課のひとつでした。それから、上級生の班長を先頭に二列に並んで集団登校をし、校門前で「○○部落、只今、○名登校しました」と報告。そして、御真影にあいさつしてから、各教室へ解散したものです。
 昼食時は、俗にいう日の丸弁当でしたが、常に空腹を覚えていた頃ですから、とても楽しみでした。先生が毎回「皆さんが食事をできるのも戦地で闘っている兵隊さんがいるからです。感謝して食べましょう」といった言葉が記憶に残っています。
 戦況が厳しくなると、食糧増産の担い手として男手のいない農家への手伝い、山林原野の開墾、松やに取りと実に様々な仕事をやりました。苦しいというより、無我夢中の時代でした。