画廊経営――泉町 滝田浩さん(57歳)
水戸空襲のとき、私は家の防空壕で寝ていました。あぶないと感じた瞬間からどの道を通って避難したのかは今だに分かりません。記憶にあるのは、焼夷弾の雨が降り、ズック靴が燃え出すほど熱い火の海の中を、敷布団を被り、途中防火用水の水を浴びながら走ったということだけです。そして気がついたら、悪夢の一夜は明け、煤煙の中にいました。
それから二年間というもの、わが家は竹の柱に焼けトタンの屋根や床という暮らし。しばらくは電気などありませんでしたので、菜種油のランプだけが頼りの暗い夜が続きました。水と燃料は貴重でしたので、風呂は隣り近所共同で野天にドラム缶を据えたものにやけどをしないように入りました。
絵の具などないそんな生活の中で、絵の好きな少年だった私が空襲跡をエンピツでスケッチしたのは、眼前にある一番身近なモチーフが荒涼とした焼け跡だったからではないかと思います。