S1層 暗褐色土中に少量の貝が混じる混貝土層である。貝塚形成後の自然堆積層であり、貝層の崩落および草木の根による攪乱で貝が混入したと考えられる。層中には後世の遺物も含まれている。
S2~S13層 トレンチの東壁セクションにおいては、純貝層に近いS14層に対して混上率の比較的高いS11・S13層が斜面とは逆の傾斜で堆積しているのが明瞭に観察された。S2~S13層は、S14層堆積後に斜面がS13層下面に相当する深さまで掘り込まれ、その掘り込みの中に堆積したものと考えられる(但し、S12層は掘り込み以前に堆積した可能性もある)。このうちS3・S6・S11層については、トレンチの東壁から西壁へ連続して堆積していることが確認されており、掘り込みの規模は小さなものではない。各層の堆積には締まりがあり、掘り込まれた時期が明らかでないことから、これを一括の攪乱として扱わずに分層して報告する。S2層は、暗褐色土中に少量の貝が混じる混貝土層であり、破砕貝片(註1)と小礫(註2)を若干含む。S3層は、茶褐色土の混土貝層であり、破砕貝片を多量に含む。S4層は、黒褐色土中に少量の貝が混じる混貝土層である。S5層は、暗褐色土の混土貝層であり、破砕貝片を含む。S6層は、黒褐色土中に少量の貝が混じる混貝土層であり、混貝率が極めて低い。S7層は、暗茶褐色土の混土貝層であり、破砕貝片を含む。S8層は、暗褐色土の混土貝層であり、破砕貝片を多量に含む。同じ内容の貝層がトレンチの東壁と西壁の両セクションで観察されているが、これは、連続する堆積ではない。S9層は、黒褐色土の混土貝層であり、小礫を含む。S10層は、黒褐色土中に少量の貝が混じる混貝土層である。S11層は、黒褐色土の混土貝層であり、焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片を多量に含む。S12層は、暗褐色土の混土貝層であり、焼けた痕跡を有する破砕貝片が主体をなす。S13層(註3)は、黒褐色土の混土貝層であり、S11層よりも混土率が低い。焼け左痕跡を有する貝と破砕貝片を多量に含む。以上のS2~S13層のうちS3層とS7層は、土質がS17層に近似しており、S17層の崩落土層の可能性がある。なお、S2~S13層を一括する場合は、第I層群という呼称を使用する。
第4図 大串貝塚B1地点トレンチ15~25区東壁セクション図(1/50)
第5図 大串貝塚B1地点トレンチ18~24区西壁セクション図(1/50)(※は註3を参照)
S14~S16層 貝層範囲南半部の18~21区に堆積しており、S14・S15層の南北両側末端部とS16層の南側末端部は、掘り込みによって破壊されている。S14層は、暗褐色土の混土貝層であるが、全貝層中で混土率が最も低く純貝層に近い。この層は、密に堆積した貝の隙間に土が充満しておらず、貝層の断面を維持するのが困難であった。貝層中には焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片を含む。S15層は、暗褐色土の混土貝層であり、S14層よりも混土率が高い。暗褐色土には貝の微細片が混じり、層全体が白味を帯びて見える。貝層中には炭化物・炭化粒および焼けた痕跡を有する貝、破砕貝片を多量に含む。S16層は、褐色土の混土貝層であり、焼けた痕跡を有する破砕貝片が主体をなす。なお、S14~S16層を一括する場合は、第II層群という呼称を使用する。
S17層 貝層範囲北半部の21~23区を中心に堆積しており、全貝層中で最も厚い。南側の一部は掘り込みによって破壊されている。21~23区の調査当初、S17層は、20-21区の貝層断面で既に確認されていたS25層へ連続するものと予想していた。両層は、特徴的な茶褐色土の混土貝層であり、貝の状態も似ている。しかしS17層とS25層の間には、これも特徴的な黄褐色砂を含むS24層が堆積しており、両層がそれぞれ独立した貝層であることが明らかにされた。両層をセクションで比較してみると、S25層は茶褐色土が貝の隙間に均等に含まれるのに対して、S17層は、貝と生とがモザイク状に堆積しており、混土率が高い。焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片はほとんど含まれない。
S18・S19層 貝層範囲北部の22~24区に堆積している。S18・S19層は、単一の層として調査した後にセクションの観察から2つの層に細分された。S18層は、黒褐色生の混土貝層であり、中礫を若干含む。S19層は、暗褐色土の混土貝層であり、礫は含まない。
S20・S21層 22~24区の東側にのみ堆積している。トレンチの東壁セクションにおいて、暗茶褐色土の混土貝層であるS23層に対して黒褐色土の混貝土層であるS21層が斜面とは逆の傾斜で堆積しているのが明瞭に観察された。S20・S21層は、S23層堆積後に斜面がS21層下面に相当する深さまで掘り込まれ、その掘り込みの中に堆積したものと考えられる。即ち、貝層中にPitが掘られていたことになるが、調査時にはその平面を確認することができなかった。S20・S21層は、単一の層として調査した後にセクションの観察から2つの層に細分された。S20層は、黒褐色土中に貝が混じる混貝土層であり、礫は含まない。S21層は、暗褐色土中に貝が混じる混貝土層であり、小礫を含む。両層からは、イノシシ・シカなどの獣骨の大きな破片が比較的多く検出された。
S22・S23層 S22層は、S23層上面に位置する、焼けた痕跡を有する破砕貝片のブロック状の堆積である。土の色調は、茶褐色か暗茶褐色かは明らかでない。S23層は、21~23区の東側を中心に堆積しており、トレンチの西壁セクションにはみとめられない。北側末端部は掘り込みによって破壊されていると考えられる。暗茶褐色土の混土貝層であり、焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片を多量に含む。
S24層 18~23区という広範囲に堆積しており、南側末端部が掘り込みによって破壊されている。茶褐色土と黄褐色砂が混じる特徴的な混土貝層である。S26層にも黄褐色砂が混じるが、S24層の砂の方が粒が細かく、その差違は感触によって明瞭に区別できる。貝層中には焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片を多量に含み、貝の微細片で層全体が白味を帯びて見える。
S25層 18~22区に堆積しており、南側末端部が掘り込みによって破壊されている。茶褐色土の混土貝層であるが、混土率が低く純貝層に近い。ヤマトシジミの貝殻(殻長・殻高)が全体的に大きく、焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片はほとんど含まれない。クロダイ・スズキなどの魚骨と鱗が比較的多く検出されている。
S26層 19~21区を中心に堆積している、茶褐色土と黄褐色砂が混じる混土貝層である。焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片を多量に含み、貝の微細片で層全体が白味を帯びて見える。炭化物も 較的多量に含まれている。なお、S17~S26層を一括する場合は、第Ⅲ層群という呼称を使用する。
S27~S29層 S27層は、S29層上面に位置する、焼けた痕跡を有する破砕貝片のブロック状の堆積である。黒褐色土の混土貝層であり、炭化物も多量に含まれている。S28層は、南側末端部を掘り込みによって破砕されているが、18-19区の西側にのみ堆積しており、これもブロック状の堆積と考えられる。黒褐色土に黄褐色砂と貝の微細片を含み、全体として暗褐色を呈した土の混土貝層である。S29層は、18~23区という広範囲に堆積しており、南側末端部が掘り込みによって破壊されている。
黒褐色土の混土貝層であり、貝層中からマガキがブロック状にまとまって検出された(第6図)。貝層全体としてもマガキが多い。焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片、炭化物を多量に含む。特にS29層下位は貝の微細片が多い傾向にあり、これを指標にS29層の上位をS29a層、下位をS29b層として遺物を採り上げたが、セクションにおいては両層を明確に区別することができなかった。S29層からはイノシシ・シカなどの獣骨の大きな破片が多量に検出されており、これらのほとんどがS29層上面に集中する。なお、S27~S29層を一括する場合は、第Ⅳ層群という呼称を使用する。
第6図 S29層中で検出されたマガキ
S30層 19-20区に薄く堆積している、黄褐色砂中に少量の破砕貝片が混じる混貝砂層であり、直上にあるS29層の破砕貝片が砂層中に混入したと考えられる。
以上の貝層の堆禎は、貝層に混じる土の色調から、黒褐色土を中心とした貝層群と茶褐色土を中心とした貝層群とに大別される。これは、第Ⅳ層群(黒褐色止)→第Ⅲ層群(茶褐色土)→第Ⅱ層郡(黒褐色土)→第Ⅰ層群(黒褐色土)という順位で堆積しており、第Ⅲ層群がS22~S26層(茶褐色土)→S18~S21層(黒褐色土)→S17層(茶褐色土)という順位で堆積していることを考慮すれば、互層をなすと見ることもできる。また、貝層の堆積は、貝の微細片の多寡からも区別される。貝の微細片が多量に含まれる貝層は、層全体が白昧を帯びる。堆積の規模が比較的大きな貝層について見るならば、S29b層(多)→S29a層(寡)→S26層(多)→S25層(寡)→S24層(多)→S23層(寡)→S17層(寡)→S15層(多)→S14層(寡)という順位で堆積しており、明らかに互層をなしている。この貝層の出現には、土の色調から大別された貝層群との関係はみとめられず、焼けた痕跡を有する貝と破砕貝片を多量に含むことが共通点として指摘される。