一方の左岸に対峙する勝田台地は,那珂川と巾丸川の間に発達し,幅1.0km弱,標高25~19mを有して,河口の那珂湊市方面にのびている.那珂川を介した両台地間の直線距離は約3.0kmあり,ここにも広大な沖積地(標高4.0m前後)が展開する.大串貝塚から河口の岩礁までは約4.0kmと至近の距離である(第一図).
第一図 大串貝塚付近地形図
縄文時代の前期,すなわち大串の丘に貝塚が形成された頃は,いわゆる海進の最盛期であった.この付近の地形は,小池一之氏によると,上位段丘,中位段丘Ⅰ,中位段丘Ⅱ,後ローム段丘,沖積地に分け,上位段丘には久慈川~那珂川間に分布する那珂台地,那珂川~涸沼川間に発達する東茨城台地が相当する.中位段丘Ⅰは下流域両岸にほぼ連続的にみとめられ,水戸市谷田で高度25m,現河床との比高23m,さらに下流の常澄村塩崎で高度20m,現河床との比高20mである.中位段丘Ⅱは中位段丘Ⅰとの比高が約10mの段丘で,前記谷田付近で海抜13m;大洗町磯浜付近で海抜10mを示し,中位段丘Ⅱ形成時の旧汀線高度は海抜0~5mであったと推定している.そして中位段丘Ⅰの現河床との比高からみて,少なくとも中位段丘形成後は地盤上昇はほとんどないという.1)
かって私たちは,下流域における縄文時代前期の貝塚形成峙の汀線高度について,大串貝塚と小川貝塚の事例から海抜3.5~4+αmであろうと推測したことがある.2)
現在肥沃な水田地帯となっている広大な沖積地は,台地の近くまで海水の影響を受けた汽水域がみられ,各所に砂泥底のラグーンが形成されていたことは確実である.湾口部の水域にはクロダイ・スズキ・ドチザメ・ボラなどの魚類が棲息し,ラグーン内にはヤマトシジミやイソシジミなどが繁殖する環境であったと考えられる.一方,台地の森林は哺乳動物のイノシシ・シカ・夕ヌキ・テンなどの住処として好条件の場所であったと思われる.
1)小池一之「那珂川流域の地形発達」地理学評論34-9 昭和36年(1961)
2)井上義安・平山 猛「那珂湊市山崎遺跡Ⅰ」那珂川の先史遺跡4 昭和46年(1971)