第三章 確認調査の経過と概要

 昭和60年の調査において,B1地点と仮称して発掘した場所は,折居神社の南西に当たる斜面から裾部にかけての部分である.裾部付近は,民間の住宅建設による削土工事が行われ,そこには良好な貝層の堆積も認められていた.発掘調査は,この地点を選び,ほぼ南北方向にトレンチを設定して行った.今回の確認調査と関係する地点なので,その時の調査概要(鈴木素行執筆)を再録し,今次調査の参考にしたいと思う.

第二図 確認調査区域図
 
 1 B1地点の調査概要(昭和60年8月17日-同年9月4日調査)
  大串貝塚B1地点のトレンチは,貝層の平面分布のうち南北方向の範囲,特に南側限界の把握と,貝層の垂直分布の調査を主目的として設定されたものである.トレンチは,東西の幅1.5m,南北の長さ29.5mで設定され,南端を起点として1m毎の区に分けて表記することにした.現在の地表は,トレンチの18~23区で約30度の傾斜になっており,調査以前に斜面の一部が削られて,20-21区西側で貝層の断面が露出した状態にあった.そこで,20-21区を中心として南北それぞれの方向に貝層の上面を追跡しながら調査を進め,最終的には貝層の範囲を含む15~25区について調査を実施した.貝層は,18~23区の開に分布し,標高4.7mから6.8mにかかる約20度の傾斜面に堆積している.最も厚い部分で約1.4mを測る貝層の堆積は全て,縄文時代前期の花積下層式期に形成されたものである.
  貝層は,斜面の削平以外にも,18-19区を東西に横断する溝状の堀り込みによって撹乱を受けている.このため,貝層の南側末端部を確認することができず,15-18区に堆積する第8~12層との層序関係も明らかにし得なかった.但し,第11層からは浮島式土器が出土しており,第8~11層は,花積下層式期の貝層よりも新しい時期に堆積したと考えられる.実際には,第12層と貝層との前後関係のみが不明である.第12層は遺物包含層であり,これによって貝層の南側限界を越えて遺跡の範囲が拡大することが明らかにされた.しかし,標高3.5m付近から地下水が湧出してトレンチの下底が水没するために,0~15区へ調査区を拡張して第12層を追跡することは不可能であった.また,貝層下にも遺物包含層の存在することが明らかにされたが,基盤層を確認するには至らず,第32層を遺物包含層の最下層として捉えるに止まった.
 調査においては,主に平面的な観察から仮層位番号を付して分層発掘を行った.最終的な層位番号は,30層に分層される土層・砂層・砂礫層を,トレンチの東壁セクションを基本として整理したものである.
 2 今回の調査概要(平成2年10月17日-同年10月29日調査)
 調査区の現状  B1地点の貝層は,標高5~8mの斜面にあって,ほぼ東西方向に細長く帯状に残っている.昭和60年に東端の部分が発掘されるに及んで,そこの貝層の形成過程が明らかとなった.貝層の上段は,東側の国指定史跡のC地点と同様に,もとは傾斜地を形成していた.けれども,ここ大串の台地先端部には,表土・ローム層の下に良好な礫層が厚く堆積しているために,戦前・戦後のながいあいだ,地域住民の農道路面補修用の砂利採掘場となり,標高15mから8m付近まで大きく削除し,いつしかそこには平坦な広場が造成されてしまった.
 昭和35・36年になると,この場所に簡易水道南地区機場を建設して給水事業を行なってきたが,最近上水道事業の前期工事が完了したので,一部の施設を残し配水池,沈砂地,排水池,配水ポンプなどは撤去されている(図版第二参照).
 確認トレンチの設定  先に調査したB1地点トレンチにおける貝層の堆積状態,水道機場跡地の現状を考慮して,確認トレンチの設定場所は,本地点貝塚の上端部北側(跡地の南側)を選んだ.これは貝層断面観覧施設の建設に当たって,貝層のひろがりがこの跡地内にまで及んでいるかどうかを確認するためであった.トレンチは,折居神社境内に接する跡地境界から北東-南西方向に長さ30m,幅5mで設定し,北東壁から5mごとに1~6区に分けて調査することにした.
 トレンチの概要  トレンチ内は,水道機場の跡地であるために,これに関連した施設の建設と撤去時に掘削工事が行われている.とくに1区と2区の境界付近の北壁寄りには,急速濾過器(撤去),3区の北側にコンクリート製の排水池,同南壁に接して電柱などがあり,この周囲一帯は深さ2mに達する撹乱が存在する.また4~6区においても,浅いところで約50cm,深いところが1m前後に撹乱を受けた跡が認められる.
 土層の堆積状態  確認調査区の土層は,B1トレンチの上端部に近接する北東壁をA-B断面,南西方向の東南壁をC-D断面として観察記録した.
 A-B断面(第三図,図版第三)の所見は,現地表面下1.3~1.4mのところに堆積する茶褐色~暗褐色の砂層fの上部に,小砂利を部分的に混在した灰褐色の粘土層d,礫と粘土を混じえた層e,直径3~5cm程度の赤褐色礫を主体とした層cが堆積する.その上部に砂利層,粘土層が厚く存在するが,これはすべて工事により掘削移動した撹乱層で,所々に建築廃材を含んでいる.この撹乱層の下から基盤の砂層の間には,貝層の堆積は全くみられないので,B1地点の貝層上端部はここまでのびていないことが明らかとなった.

第三図 確認調査トレンチ図(1)
 
 C-D断面(第四図,図版第四)の所見は,各区によって深度が相違するけれども,全面にわたり工事の撹乱が存在する.とくにそれが甚だしいのは,排水池や電柱のある2~3区間で,深さ約2mの基盤の砂層にまで達している.各区に共通する大別層序は,灰褐色,黄褐色,茶褐色の砂層fが基盤となり,その上に粘土層dや礫層cが堆積して土層が形成される.1区と2区の撹乱が浅い部分の断面を観察すると,砂層と粘土層が交互に重なりあい,礫層に移行する層序がみられる.これが調査区の本来的な土層の堆積状態を示すものであろう.

第四図 確認調査トレンチ図(2)
 
 貝層の堆積状態(第三・四図,図版第五・七) 貝層は3区の1地点(A).と4区の2地点(B・C)に出土した.A貝層は,電柱のあるコーナー部分の砂層上に,80×130cmの範囲で確認され,断面で観察すると厚さ10cm前後の黒色土gを挾み,5~10cmの厚さで上下に薄く堆積する.B貝層は,砂層の細いくぼみの中から上方に堆積し,A貝層の方にひろがる傾向がみられる.おそらく下方に移行すれば同一の貝層になることは確かであろう.この貝層の上面は若干削平され土砂と一緒に西側へ移動している.C貝層は,4区の現地表面下約1.5mの砂層中に発見された.直径は1.3mの不整形を呈する.深さは中央部がくぼんで25~36cmを測る.
 3地点の貝層は,いずれも僅かに土砂を混入した混土貝層である.貝層を構成する貝種をみると,ヤマトシジミが主体となっており,これに少量のマガキ,ハマグリ,稀にアカニシ,サザエ,ヒダリマキマイマイなどが混入する.特にマガキは各貝層とも数固体がブロック状に出土した.
 貝層中には,土器破片,石器,魚骨,獣骨片などが含まれているが,その量は決して多いものではない.
 貝層の形成時期   貝層出土の土器は,胎土に植物性繊維を含んだ縄文時代前期前半の花積下層式~二ッ木式期に比定できるものである.3地点の貝層は,出土土器の型式的特徴から,この時期に形成されたものと考えられる.