第一章 はじめに

 常澄村は,平成4年3月3日に水戸市に合併し,『常陸国風土記』大櫛岡の巨人と貝塚の説話で著名な大串貝塚の所在する地は,水戸市塩崎町,大串町という新町名に変更された.
 これより先に常澄村は,昭和63年3月に第三次総合計画を策定した.その一つに,大串貝塚周辺一帯を(仮称)「大串貝塚周辺におけるふれあいのまちづくり事業」を計画し,歴史公園として整備することを決定した.
 この計画の概要を教育委員会は,「遺跡の保護保全はもとより広い意味での整備を図るために,出土品等の保管・展示,また当地に言い伝わる巨人伝説等歴史的背景の紹介,コミュニティ形式の場としての機能整備等を目的とする歴史資料館(まちづくりセンター)の建設,児童・青少年には健全な運動やサークル活動の場を,老人には憩いの場を与え,スポーツ・レクリェーション等の振興により人間性を培い,村民にうるおいと豊かさを与えることを目的とし,さらに災害時における地域住民の避難場所としての防災機能も備えることを図るものである.」と説明している.こうした一連の計画は,まことに時宜をえたもので,その後着実に進展して事業が開始されたのである.
 本事業を推進する計画予定地内は,大串貝塚の所在する西側の台地が該当し,ここは周知の遺跡でもある.したがって,これまでに施設建設予定地内を3回にわけて確認調査を実施してきた.第一次調査(昭和62年)は,常澄中学校体育館建設に伴う確認調査で,古墳時代前期4世紀後半~5世紀初頭の円形周溝墓(直径約20m,周溝幅2m前後,深さ45~60cm)を1基発掘した.第二次調査(昭和63年~平成元年)は,(仮称)大串貝塚周辺におけるふれあいのまちづくり(スポーツ広場,センター広場,太古広場)に伴う確認調査である.本調査は3地区に調査区が設定され,第二調査区のセンター広場においては,古墳時代前期の住居址5軒が検出され,第三調査区の太古広場では縄文時代後期の土擴,古墳の周溝の一部が調査され,多くの有意義な資料を獲得した.第三次調査(平成2年)は,貝層断面観覧施設建設にあたり,貝層の範囲確認のための調査であって,昭和60年に発掘したB地点(担当者川崎純徳)の一角である.ここには良好な貝層の堆積がみられず,僅かにブロック状の小貝層を3地点で発見しただけであった.したがって,本調査区への貝層断面観覧施設建設は断念せざるをえなくなり,北側傾斜地のC地点北西側に変更された.
 大串貝塚ふれあい公園は,当初の予想に反して入場者が確実に漸増している.このたび公園西側の市道常澄8-1495号線の改良工事を行うことになった.このために確認調査を実施したのが今次の発掘で,後述するような成果を収めることができた.