第一章 緒言

 国の史跡に指定(昭和45年5月11日)されている大串貝塚は,茨城県を代表する縄文時代前期の貝塚である.
 本貝塚は,標高15,5m台地の先端部,東・南側斜面を中心に貝層が露出し,奈良時代の『常陸国風土記』(713)編さん時から識者間に注目されてきている.明治21年(1889)のころ以降になると,多くの著名な研究者たちが来訪し,部分的に小発掘や学術発掘を試み,さまざまな研究考察を発表してきた(文献省略).
 しかるに,台地上の畑地(現在の常澄中学校敷地)については,一部に貝殻が散在してはいたが,ほとんどその内容は不明のままであった.
 戦後の昭和30年3月31日に,常澄村が誕生すると,この場所に統合中学校(常澄中学校)の設置が決定(昭和33年9月30日)し,木造モルタル校舎の建設工事(第1・2期)が開始された.その後,昭和40年に鉄筋2階建特別教室(理科・技術),翌41年に防音鉄筋3階建校舎の建設工事が行われてきた.
 このたび当時の校舎は老朽化をきたし,建替工事を行う時期になった.水戸市教育委員会は,遺跡の歴史的重要性を考慮し,建設予定地内の3地点を選び,遺構の有無について確認調査を実施してきた.その結果,校舎の南側と北側の2か所において,竪穴住居址と住居祉内に廃棄した良好な貝層を発見することができた.
 竪穴住居址と貝層は,いずれも貝塚形成期に比定されるもので,縄文時代前期に属する.今回の確認事実に基づけば,常澄中学校の敷地内には,大串貝塚人の集落が形成されていたとみて大過ないといえよう.
 発掘調査は,平成8年2月15日-3月8日まで,市教育委員会学校教育課・生涯学習課の指導により実施し,竪穴住居址・貝層内から後述する人工遺物や動物遺存体を発見でき,大串貝塚の地域的性格の解明に大きな成果を収めたと思う.
 私たちは,平成2年10月にも「大串貝塚周辺におけるまちづくり」事業の一環として,確認調査を実施し,今回また常澄中学校の建替工事に伴う発掘に従事する機会に恵まれ,この貝塚から多くの先史学的事象を学ぶことができた.発掘調査と整理作業にご高配・ご指導をたまわった市教育委員会学校教育課・生涯学習課,常澄中学校,大串貝塚ふれあい公園L・E・Cセンター,さらには厳冬期の発掘に続き整理作業に従事された諸氏に深い感謝の意を表したいと思う.