3 第三号住居址(第五・六・一〇・一一・一九・二〇図,図版第三・六)
遺存状態 竪穴の南半部に校舎の排水溝,東側に植込みがあり,発掘できた部分は北半部の約8.0m2にすぎない.南半部の床面は校舎の下に入り,大部分破壊を受けているように考えられる.
規 模 北壁のWコーナー付近は,第四号住居址に切断されているために,確認しえた壁の長さは約3.5m,東壁は約2.2mまでである.したがって,竪穴の形状は,方形または長方形を呈するように思われるが,大きさは不明である.壁高はローム面から約20cmを測る.
床面 内区に相当する空間は,凹凸のある硬度3に比定でき,周壁に近くなると若干軟らかくなる.
ピット・炉址 床面には確認されなかった.
埋没土 ローム粒子を含む褐色土である.
遺物の出土状態 発掘した竪穴内のほとんど全面に散在し,床面より僅かに上方~確認面間に包含されていた.発掘面積が狭小な割りには,約300点の土器破片と使用痕を伴う自然石3個,石鏃3個が出土した.
接合資料は,ドット・マップに図示したような在り方で5例が抽出された.このなかには第四号住居址と接合できる資料もある.
接合資料1<深鉢形土器>498▽31・518△16(口縁部)
接合資料2< 同 >539△22・514△22(胴部)
接合資料3< 同 >82▽12・90▽20・27▽15(胴部)
接合資料4< 同 >536△18・527▽23(胴部)
接合資料5< 同 >551△21・580△21(胴部)
時 期 出土土器は,すべて深鉢形を呈する縄文時代前期前半の仲間であり,主体となるものは第一・二号住居址と同じく花積下層式・関山式に属するものである.破片数は花積下層式に比定できるものが多くみられる.