遺構(第五図,図版第六)
第五図 第一号円形竪穴状遺構実測図
本遺構は西側墳丘下のローム面に発見されたものである.平面形は略円形を呈する.大きさは東西約2.7m,南北約3.0mを測る.確認面からの深さは,東壁付近が25cm,西壁付近が23cmである.周壁は斜めに掘り込み,底面はほぼ平坦で,とくに踏みかためたような跡はみられない.
壁の外周や底面には,ピット,炉址などは存在しない.遺構内の土砂は,ローム粒子を僅かに混入した黒色土であるが,中央部の南北方向に,焼土粒子をやや大目に含んだ土がみられた.遺構内の土砂は,自然的に流入したものではなく,あきらかに埋め戻した土砂である.
遺物は,中央より東半部の空間には全く存在せず,主として西半部に出土した.中央付近に土器の破片が集中して存在するが,大部分の破片は実測図に示すような状態で接合し,一個体の壺形土器となった.これは破損した,または破損させた破片を一括的に棄てたものである.南西の壁に近い壺形土器は土圧で破損した状態を示す.北側に単独で存在する土器は,壺形土器の胴部である.本遺構から出土した遺物はすべて弥生土器であった.
出土遺物(第六図,図版第一八)
第六図 第一号円形竪穴状遺構出土遺物実測図
弥生土器は後期の特徴を備えたものである.1と接合資料1は,破片に若干不足をきたすけれども完形に復元できる.9は口縁部から肩部を欠失する.24は頸部の破片である.以上の4例土器が本遺構の主要な遺物となる.
1は広口の壺形土器である.口径18.0cm,胴部最大径19.0cm,底径8.0cm,器厚0.5cm,高さ33.5cmを測る.器形は,僅かに突出する底部から,胴部がゆるやかに脹らみ収縮して頸部に至り,ふたたび口縁部が外反しながら開く.口径より胴部最大径が,僅かに大きくなり,均整のとれた土器である.
器面の文様は,上部から①文様帯I(口縁部),②隆起帯A,③文様帯Ⅱ(頸部~胴部上半),④文様帯Ⅲ(胴部下半)に大別される.
文様帯Iは,口唇部に細かい刻目を付し,櫛描波状文は4本の工具を使いd1類(井上義安『十王台式土器分類図譜』II 昭和56年10月)を描出する.
隆起帯Aは,3条の粘上紐を薄く貼付したもので,指頭による押圧は行っていない.類別的には新しい方に入る.
文様帯IIも櫛描文で基本的な構図としては,那珂湊市富士ノ上遺跡のe2類(前掲文献参照)に相当する.
文様帯Ⅱは,いわゆる付加条縄文第二種(RL×2L・LR×2R)を羽状に押捺している.底面には布目の圧痕がみられる.
接合資料1も広口の壺形土器である.口径15.0cm,胴部最大径13.5cm,底径9.0cm,器厚0.4cm,高さ22.5cmを測る.器形は,口径より胴部最大径が若干小さく,器高に比較して頸部が大きくなる.
文様帯の構成は,1と同様に文様帯I,隆起帯A,文様帯II,文様帯Ⅲの組合せである.本例では,口唇部の刻目間に,山形状の小突起が数か所に付され,また櫛歯状工具も少し太目のものが使われる.
9は口頸部を欠損した小型の甕形に近い土器であろう.残存する文様帯は,文様帯Ⅱb,隆起帯cと文様帯Ⅲである.文様帯Ⅱbの構図は,縦に3条の直線文で区画した左右の空間を波状文が充填し,下端に連弧文列を描出する.
隆起帯C(3条貼付)には,連続刺突が加飾される.
胴部下段の文様帯Ⅲは,付加条縄文第二種を羽状に押捺している.
底面は無文である.
24は文様帯IIに相応する破片の拓影である.櫛描文の構成は,縦位直線文と横位波状文を組合せており,1の文様構成と同様になる.この土器の施文には,工具先端の非常に細い多条(7本)のものが使われている.
以上に図示した4例の弥生土器は,あらためて説明するまでもなく,この地方を主要な分布圈にもつ後期後半の十王台式に該当するものである.
この時期の類似遺構は,昭和50年,大洗町ひいがま遺跡(第一次調査)において,胴部に穿孔し口縁部を欠いた大型の土器が埋置された状態で出土し,宮田 毅氏が遺構の性格について論及している(ひいがま遺跡発掘調査団『ひいがま』Ⅱ~Ⅳ 昭和50~52年』.さらには昭和61年にも,大洗町団子内遺跡において,時期は若干さかのぼるが,類似の円形遺構を調査し,内部には底部穿孔の口縁部を欠いた大型土器が破片となって散在していた(井上義安『団子内』昭和62年9月).大型壺を埋置した当初の状態は,多分前記ひいがま遺跡の事例に近いものであったと思われる.また平成4~5年には,那珂湊市鷹ノ巣遺跡で,古墳時代前期?の類似遺構を1例発掘しているが,大型土器は出土しなかった(井上義安『那珂湊市鷹ノ巣遺跡』平成6年3月).
前二者の事例は,遺構の形状,大きさ,出土土器およびその出土する状態などに,かなり類似した点が認められる.本遺構の場合は,大型土器つまり二次埋葬用の土器棺こそ存在しなかったけれども,その他の事象に近似性が強く指摘でき,埋葬に関係した遺構と考えられる.