墳丘西側のローム面上に発見された住居址で,東壁の大部分は溝状遺構,西壁の一部は撹乱によって破壊されている.
第一〇図 第二号住居址・炉址・柱穴実測図
規模 北壁(W-X間)推定約3.9m,南壁(Y-Z間)約3.8m,西壁(W-Y間)約3.4m,東壁(X-Z間)は南側の一部を残し,溝状遺構で破壊を受けている.形状は長方形を呈し,面積約13m2である.壁高は30~35cmを有する.
床面 内区は細かい凹凸のある硬度3,外区は硬度2に比定できる.
ピット P3とP4はコーナーの対角線上に位置しているが,P1とP2は若干ずれて存在する.前者の2本は,直径25cm前後,深さ70cmを測る.後者の2本については,埋没土砂を記録するために半截発掘を行った.P2の断面図を観察すると,bは柱材を固定する目的で周囲に埋めた土砂,cは柱材を抜きとった後に埋め戻した土砂と考えられる.P3のbも同様に柱材固定用の土砂であるが,柱材を抜きとった後に崩落した状態を示している.P2:直径35cm,深さ77cm.P3:直径20cm,深さ80cm.以上4本のピットは主柱穴である.Yコーナーの長方形ピット(長径80cm,短径40cm,深さ20cm)は貯蔵用に掘られたものであろう.
炉址 床面中央よりやや北側に位置する.大きさは長径約60cm,短径約50cm,深さ約10cm(焼土の厚さ5cm)を測る.地床炉.炉址の西側にある炉石は廃絶時に移動したものと思われる.また,炉址の南側床面が,直径約35cmの大きさに焼けている部分がみられた.これは床面上で直接火を焚いた跡である.
埋没土 A-B・C-D両断面によって観察した土砂の性状は,ローム粒子を混入した黒褐色土である.C-D断面(竪穴の南半部)に大きい撹乱が認められる.
遺物の出土状態 第一・三号住居址に比較して,遺物の出土量が非常に少ない住居址である.これは図示(C-Dセクション)したように,P3~P4を含む住居址の南半部が,床面近くまで撹乱を受けた結果によるものと思われる.したがって,遺物の出土状態についての全体像は知りえない.W-X壁(北壁)沿いのドットをA-Bセクションに投影してみると,床面またはその近くから出土していることがわかり,こうした遺物は本址に属するものであろう.確認面付近の遺物のなかには,後述するように坏形土器や高坏形土器に,新しい要素がみられ,すべての土器を本址に帰属させることはできない.接合関係を有する遺物は皆無であった.
遺物の概要 出土した遺物は,後述する土師器と炉石のほかに,縄文土器および弥生土器片などである.本住居址に属する遺物は,土師器と炉石であり,土師器は,甕形土器,壺形土器,坏形土器,高坏形土器,坩形土器,異形器台形土器などの器種で構成される.縄文土器と弥生土器片は,覆土中出土の混入遺物である.
甕形土器 15・14・1・16は,口縁部をくの字状に外反させた単口縁で,胴部が球形を呈する.
底部は基本的に平底で,単純なものと若干突出したものとの2種類が認められる.技法上の特徴は,外面全体に刷毛目調整を施し,さらに磨きや削りで成形する.内面は,口縁部と底部付近にのみ刷毛目調整が施されている.
壺形土器 口頸部の破片01は,口縁部が外反する器形で,おそらく第一号住居址の接合資料3に近似するかも知れない.
坏形土器 02は,丸底ぎみの底部が,体部との間に明瞭な稜をもち,外傾して口縁部に至るものである.内外面ともに箟磨きがおこなわれている.型式的に新しくなる様相を示す.
坩形土器 03は,胴部最大径より口径の方が大きい数値を示す.胴部は算盤玉状を呈し,胴部は若干外傾して立ち上がる.
高坏形土器 坏部と脚部下半を欠損した04は,脚部中程が脹らむ傾向を示し,中期の和泉式的特徴を示すものであろう.
異形器台形土器 05は下半部を欠失しているが,上面は凸レンズ状を呈する.円孔は器の中央と脚部にも認められる.つくりは粗雑であり,二次的な火熱を受けている.
炉石 最大長26.4cm,最大幅8.5cm,厚さ6.5cmの完形品である.図示した下端には若干の使用痕が認められる.細粒砂岩.
(千葉隆司)
第一一図 第二号住居址出土遺物実測図