第二号住居址の南側約2.5mの地点に発見された住居址である.南壁付近が溝状遺構によって破壊を受けている.
第一二図 第三号住居址・炉址・柱穴実測図
規模 北壁(W-X間)約4.8m,西壁(W-Y間)約4.2mを測るので,長方形の住居址であろう.面積は20m2と推定される.壁高は20~25cmで,ほぼ垂直に掘り込まれている.
床面 内区に相当する部分は硬度3,外区は硬度2である.また,内区の南側を中心にひろい範囲の撹乱が存在する.
ピット 主柱穴4本は,多少のずれはあるが各コーナーを結ぶ対角線上に存在する.各柱穴の直径は30~40cm,深さは65cm前後である.Yコーナー近くの大型ピットは,長方形を呈し,長径90cm,短径60cm,深さ30cmを測る.第一・二号住居址と同じところに掘られている.
炉址 床面中央の北側,P1寄りに位置する.大きさは長径48cm,短径35cm,深さ10cmを測る.焼土は厚さ5cmあり,良好な状態で残っている.地床炉.炉石は存在しない.
埋没土 土砂の性状は,第二号住居址のローム粒子を混入した土砂と同一である.
遺物の出土状態 ドットで記録した平面分布をみると,中央から東側の空間が全体に少なく,西半部には完形土器を含む資料が多数散在している.とくにWコーナーとP1を結ぶ付近,P4の周辺にまとまりがみられる.撹乱の範囲内にも若干の破片を検出できるが,この付近はもともと破片数が少ないところである.床面上の完形土器は,竪穴廃絶時に遺棄したものと考えられる.
一方,接合資料は,甕形土器の胴部破片や鉢形土器などを含めて5例が抽出できた.その接合線の指向するありかたを観察すると,大略東西方向に接合するドットが過半数を占める.この方向性は,Wコーナーの南側から投棄した破片類とみて間違いないであろう.
遺物の概要 本址に属する遺物は,土師器,紡錘車,砥石,不明土製品で,混入遺物として縄文土器や弥生土器片などが数点みられる.土師器は,全体的に残存状況が良好であり,図示可能なものが数多く存在する.器種構成としては,甕形土器,鉢形土器,坏形土器,高坏形土器,器台形土器,異形器台形土器などがある.
甕形土器 平底と台付の2種類が存在する.口縁部がくの字状に外反し,胴部が球形を呈する29・15,口縁部がゆるやかに外反し,口径と胴部最大径にあまり差がない5,台付の01などがある.いずれも内外面に刷毛目調整を施しており,5のように刷毛目の後に磨きを施すものもみられる.これらの甕には外面全体に多量のススが付着している.
鉢形土器 接合資料4・104・7・手づくね製の接合資料5などがある.接合資料4は,外面に箟ナデ,104と7は内外面に丹念な磨きをおこない,接合資料5は,口縁部が内湾ぎみに立ち上がり,突出する底部中央に浅いくぼみを有する.内外面に箆ナデを施し整形している.
坏形土器 02の口縁部片で内面に磨きを施すものである.
高坏形土器 10・4・03・04・05が該当する.10は坏部片で底部に稜をもち,大きく内湾しながら立ち上がる.内外面は丁寧に磨かれる.4は浅い埦状に開く坏部片で,外面に磨きが施されている.05は柱状の脚部片で若干中脹らみになる.
器台形土器 完形品の100と脚部を欠損した47が存在する.前者は,くびれ部から器受部が斜めに開き,脚部はラッパ状に外反する.外面に磨き,内面にナデを施す.器受部中央に貫通孔,脚部中程に円孔(3か所)が穿たれる.後者もほぼ同様の器形であろう.
異形器台形土器 63と93が該当し,後者の93は,器受部から弱く外反し,直線状にのびて開く器形を呈する.器受部は63のように平坦ではなく,若干くぼんでいる.器の中央に貫通孔があり,脚部にも円孔(3か所)がみられる.全体に粗雑なつくりで,外面に粗い磨きを施す.二次焼成痕は本土器にも観察できる.
紡錘車 96は,土製で直径45mm,厚さ17mm,中央孔径8mmである.粗雑なつくりで断面は楕円形を呈する.重量33g.
砥石 06は,実測図の右端を欠損する.大きさは現存長48mm,幅28mm,厚さ21mmを測る.使用痕はa面と側面に認められる.
不明土製品 106は,土器片を再利用したもので,実測図の上辺・下辺・左辺を丁寧に磨り,台形に形を備えたものである.最大長39mm,最大幅48mm,厚さ5mm.これ自体で使用するのか,なにかとセットで使用するのか用途は不明である.
(千葉隆司)
第一三図 第三号住居址出土遺物実測図(1)
第一四図 第三号住居址出土遺物実測図(2)