第二章 確認調査の概要

 前章において記述したように,第二次調査の主要な目的は,まず墳丘の形状を確認することであり,あわせて埴輪の配列状況を記録し,本古墳に関する基礎資料を整備しようとすることであった.したがって,確認調査は,埋葬施設の探査を主眼としたものではなく,古墳の形状を把握するためのトレンチ調査に限定した.
 トレンチによる調査区は,第一次調査時の測量図と地主からの要望(伐木の禁止)などを勘案して,北側の支谷面に3か所,残存墳丘の南裾に2か所設定し,遺構の出現状況に応じては若干拡張することにしたが,確認作業の過程で調査区の配置は第一図に示すように変更された.

第一図 調査区配置図

 第一調査区 長さ5.0m×幅2.0m(第二・四図,図版第一)
 支谷に面する墳丘北側の周溝確認のため設定したものである.墳丘下のローム面は,調査区のほぼ中間付近から35°前後の傾斜をもって落ち込み,土層断面を観察すると,その部分(溝の上縁幅約1.0m,深さ20cm前後)が,あきらかに掘り込まれた状態を示し,地形的に西側斜面にのびて消滅するように考えられる.
 調査区内においては,図示したように多数の円筒埴輪片,前期縄文土器片(少量)などが散乱状態で出土している.その分布状況は,周溝上方の斜面と下方の周溝外に多く散在し,底面上から約40cmのレベル内に包含されていた.
 第二調査区 長さ5.0m×幅2.0m(第二・四図,図版第二・三)
 本調査区は第一調査区の東側に設定した.ここの調査区では,北端近くにロームを掘り込んだ周溝(底面の幅約1.0m)が検出された.周溝の底面はほとんど平坦である.外縁側の掘り込み状態は,立木があり拡張困難なために確認できなかった.
 円筒埴輪の破片類は,本調査区内からも出土し,ここでは主として内縁から外縁に散在する傾向がみられた.このなかに混在して五領式期の甕形土器,高坏形土器,異型器台形土器の破片,前期縄文土器や後期弥生土器などの破片が少量発見された.その出土状態は平面・垂直分布図に示すとおりである.

第二図 第一・二調査区遺物出土状態図

 第三調査区 長さ8.3m×幅2.0m,拡張部長さ3.3m×幅1.5m(第三・四図,図版第四~七)当初の大きさは5.0×2.0mであったものを,周溝が出現しないために3.3m延長し,さらに周溝のカーブする形状を把握すべく東側に1.5m拡張した.上半部には,墳丘築成前の溝状遺構が検出され,下半部の拡張部からは,幅約1.3m,中央部の深さ約70cmの周溝が円弧を描くように出土した.周溝は東側の拡張部に移行するにしたがい浅くなる.
 墳丘の測量図をみると,この部分がとくにくびれているが,発掘した周溝の位置と形状からは,前方後円墳のくびれ部に該当しないことがわかった.周溝上部の土層関係は,ローム面のレベルに黒色土が介在し,さらにその上部に黄褐色土が堆積していて,墳丘側の土砂が削平により移動し,黒色土を被覆した結果であることが理解できる.
 遺物は調査区の上半部と下半部にまとまって出土している.上半部はローム面に溝状遺構(上縁幅約2.2m・深さ約90cm)が掘られているところである.ここには埴輪片(約50個)より五領~和泉式期の土師器破片(甕形土器・小型台付甕形土器・壺形土器・器台形土器)が多く散在し,遺物の分布図は埴輪片や縄文土器片を除くと,すべてが古式土師器の破片ということになり,時代的に本古墳と直接の関係をもっていない.おそらく溝構築時か墳丘築造時に住居址を破壊した結果によるものと思われる.
 下半部は周溝に相当する部分である.ここでの遺物は,円筒埴輪の破片が主体となり,縄文土器と土師器片(約50数個)はあきらかに混入遺物である.埴輪片は数か所にブロック状をなして集中する傾向がみられ,ドットで投影したように,周溝の底面上に少なく,内側上縁付近から中央の上半部に存在する.
 本調査区から第四調査区に移行する周溝内側の上縁付近には,略円形(20~30cm,深さ12~20cm)を呈するピットが6か所に並列する.円筒埴輪155が溝内部に傾く状態,すなわち倒れかたや破片の散乱状態を観察すると,こうしたピットには円筒を樹てた可能性が指摘できる.

第三図 第三・四調査区遺物出土状態・断面図

 第四調査区 長さ4.5m×蝠2.5m(第三・四図,図版第八・九)
 本来は墳丘の東南側に設定する調査区であったが,第三調査区において,墳丘側から北にのびる溝状遺構が出現し,周溝との関係を確認する目的で第二・三調査区の間に設定したものである.溝状遺構と周溝は,本調査区の北端において交差し,前者が僅かに深いことも確かめられた.しかし,切り合い関係による新旧は,土層(黒褐色土)の断面にあらわれなかった.周溝については,第一~四調査区を連結すると,墳丘を中心に弧状にめぐる事実がいっそう明確になった.
 本調査区の遺物は,円筒埴輪の破片が大部分で,この中に前期縄文土器や土師器片が若干混在している.平面・垂直分布のありかたは,周溝付近から下方に集中して散在する.こうした破片の出土状態は,故意に破砕したというより,おそらく昔時の開墾などによる破砕散乱と考えるべきであろう.

第四図 第一~四調査区遺物出土状態・断面図

 第五調査区 長さ8.0m×幅2.0m,拡張部長さ4.0m×幅2.0m(第五図,図版第一〇~一二)
 墳丘の東側に周溝の有無を確認する目的で設定した調査区である.現地表面から50~70cm下のローム面において,調査区のほぼ中間に長方形の土壙状遺構が,略東西方向に検出された.さらに全容を確認するため北東側に拡張した.この時点においても周溝と思われる掘り込みは認められなかった.第一~四調査区内周溝の曲線を東側に延長してみると,本調査区の外側約2.0m付近の地点に相当することになるが,樹木の関係もあり拡張作業は断念せざるをえなかった.

第五図 第五調査区遺構物出土状態・断面図

 本調査区内の遺物は,埴輪片がほとんど出土せず,土師器や須恵器の破片なども極めて少量である.
 なお,この調査区の周辺は,墳丘断面図(右端部)からもうかがわれるように,大部分の堆積土砂が撹乱層であり,軟らかく一度掘り返したような性状を呈する.防空壕も近くにあり,この撹乱がひろい範囲に及んでいるように思われる.