水戸の町は,大きくは台地と低地よりなる。台地上に展開する上市と呼ばれる市街地には,大坂・太郎坂そして鈴坂など坂が多い。低地に開けた下市と呼ばれる市街地には,桜川(馬場川)や備前(伊奈)堀の関係もあって石垣橋・新寺橋・消魂橋(たまげばし)など橋が目につく。このように市街地だけの水戸をみると,地域的相違が坂と橋で表現できる。
このため,飲料水の確保の方法でも,両地域では江戸時代から昭和の初めまでは大変に異なっていた。上市は深井戸と台地はし湧水の利用であり,下市は笠原水道と浅井戸とであった。下市の浅井戸は,水はかんたんに入手できたが,有機物が多い渋水で,水質の面からは問題があり,町屋の大部分は笠原水道を利用した。しかし,それを維持するために使用した労力と経費は,大変なものであった。
上市は,江戸時代には水質も良く水量もあったが,台地を城の堀として掘り下げたため,地下水の道が分断され,しだいに水量は減少した。また,大正から昭和にかけては人口も増加し,当時の衛生上の知識と技術では汚水の処理が不十分なこともあったために,しだいに水質は悪化してきた。