楮川(こうぞがわ)ダムを造る

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 現在は市民の水に対する関心も高く,節水意識も浸透し,水の需要も変化している。しかし,都市生活者の増加と生活向上で,水戸市民の水の必要量は急激に増加し,昭和53年夏季に1日最大給水量が9万7,622立方メートルとなって第四期拡張事業が想定した給水能力1日最大給水量11万立方メートルに迫る状態となった。

 このため昭和60年の計画給水人口を25万6,600人と予想し,1人1日の最大給水量を562リットルとして1日最大給水能力を14万4,210立方メートルとする計画がたてられた。

 これだけの水を,那珂川より常時取水して安定供給することは,河川流水量が季節的に変化することが多い自然河川では,他にも水を利用していることもあって水利権の許可を得ることが不可能である。しかし,水戸市の水道に関しては他に水源はないので,那珂川の水が多く流れている季節に汲み上げて貯水することで,既得水利権のうち未取水分と新規の水利権をあわせて有効に利用することが計画された。

 原水を貯水する場所は,必要とする貯水量よりして池の面積が千波湖の約60パーセントに近い大きさで,漏水の心配のない岩盤のある所である。これらの条件に適合したのは,汲み上げる枝内取水場との位置関係も良い,市内田野町の楮原地区となった。

 ここに高さ35メートル,長さ364メートルの重力式コンクリートダムを造り,常時満水位(標高)62.5メートルで総容積197万立方メートルの貯水池とする。その原水を,新設する浄水場で浄水し,配水タンクから自然流下で市内に給水する。全国的にも例のない,河川から水を汲み上げてダム方式で貯水(河道外貯溜)するという新方式の水道施設が,水資源の開発・有効利用という面から考えられた。このような第五期拡張事業が完成すると,ダムをもった人工の貯水池が,周囲の森の中の水面として,付近の自然とともに新たな景観を造ることであろう。

それがまた,新たな水戸の名所になると思われる。