備前堀(伊奈堀ともいう)は,飲料水確保を目的としたものではない。備前堀は水戸藩の初代藩主頼房が水戸に封ぜられた翌年の慶長15年(1610),伊奈備前守忠次に命じて千波湖の水を島田村(常澄村)まで水田開発のためにひいたものである。また,これは桜川,千波湖の洪水を防止する目的ももっていた。この備前堀の開さくにより,水戸市・常澄村あわせて耕地千町歩が開かれたという。
開さく者の伊奈備前守忠次は,徳川家康の家臣で農政家・土木事業家として有名である。その技術は関東流ともよばれ,徳川氏の収入を2倍にしたともいわれる。備前堀という名称は,現在の埼玉県にあるものが最大で関東各地に残っている。茨城県でも水戸以外に下妻市・千代川村・水海道市・伊奈村などにも残っており,伊奈村の村名も伊奈家の人びとの功績を讃えてつけられたものである。