水戸という地名は,いうまでもなく水と関連したものであるが,水道ができる前の水戸市民にとって,水を得ることはそうたやすいことではなかった。
上市は場所によって深井戸を必要とし,狭い台地上での生活のため渇水の心配が常にあった。また,水量に心配がなくても,井戸を掘ること,管理すること全てについて,水を必要とする者が責任をもたなければならない。
下市では,飲料水確保のために笠原水道より以前に,吉田村の溜池2か所から田町(下市)の用水を取ることにして,田町の町人が普請にかり出された。しかし,この用水は下市のほんの一部に限られ,雨が降ると水が濁ってしまったので,あまり役に立たなかったという。それでも,もし自分の家の前の用水清掃を怠っていて,水を滞らせたということになれば,罰金を取られたという。いつの時代でも水を得ることは真剣であった。
笠原水道の創設にも,1年半の期間と延人員約2万5,000人もの労力が費やされた。
上市・下市いずれの地域でも水を得るためには水を必要とする者自身が,多大の努力と責任を負わされたのである。現在の我々は,じゃ口から出てくる水に全く責任を持っていない。その責任は市水道部に全て背負ってもらっている。実際は現在でも水資源の確保・水質維持・配水管理などに関する努力が昔以上にくりかえされているのであるが,それは我々市民に直接見えないところで行われている。その水道事業が確実になされることに慣れてしまった現代人は,じゃ口をひねれば水が出てくることは当然としか思わなくなっている。
水道は市民の日常生活の大きな労苦をかたがわりしてくれた,ありがたい道具である。そして,水道は単なる日常生活を支える道具としての存在だけではなく,日常生活全体を変化させる大きな役割も果たしたのである。
毎日つきまとった水を得るための労苦から解放され,日常生活に時間的にも,精神的にも余裕が生まれた。その余裕が良くも悪しくも,市民生活に大きな変化を与えていったのである。
水道のありがたさを痛感するには,水道なしで生活することの困難さを思いうかべればよい。水道のじゃ口から何げなくコップに入れた水を,何の疑問ももたずに一気に飲めること,これはたいへんにありがたいことなのである。水戸市でも50年前にはそれができなかったのである。