水道の管理にあたる町役人は町年寄から1名,下町の町名主から4・5名が選ばれた。そして,町人のうちから専任の水番(みずばん)をおき,これが水道の保全にあたった。その手当は下町の町人の拠出金から支払われた。
水道の経費は受益者負担である。臨時の大修理の時は別途徴収するが,平常時は一定の比率で徴収金額を定め,徴収し,その保管金を貸付けて利を収めた。
享保18年(1733)の水道金の徴収総額は40貫280文でその内訳はつぎのとおりである。
鐚6貫500文 諸士中(68人) 鐚1貫348文 酒屋7人
1人につき 100文づつ 248文づつ4人
鐚14貫218文 本町通り 148文づつ2人
小間口1間につき12文 48文 1人
鐚9貫688文 裏町通り 鐚308文 湯屋5人
小間口1間につき4文8分 72文づつ3人
鐚3貫590文 本町店借(150人) 46文づつ2人
1人につき23文 鐚1貫229文 田中町出口12間
鐚3貫208文 裏町店借(280人) 銭谷前7間半
1人につき11文 赤沼町出口33間
鐚269文 御瓦屋前店借9人
田中町出口4人
銭谷前1人
赤沼町出口5人
江戸時代中頃の安永3年(1774),水道指銭覚ではつぎのようになっている。繁をいとわず,読み下しにして紹介しよう。
水道指銭取立覚(「水戸御用留」5)
1,屋敷持は家内有り人別掛けにて1人につき1ケ月3文づつ,店借りは右同断にして2文づつ取立てる。
1,造酒屋は家内人別のほか,1軒につき1ケ月16文,湯屋醤油屋濁酒屋は右同断にして8文づつ,但し,濁酒屋は大分に造り候者ばかり取り立て申すべく候。
1,指銭の儀,屋敷持ち,店借は差別をつけ取り立てさせ候ところ,7ケ年のうち,明き屋,明き屋敷の分はさらに出さず,右年数のうち,脇合より引越候者はその月より3年まで出させ,当時住居の者,脇合へ中途に引越し,右跡へ脇合より引越候者もそのあとより3年まで出させ申すべく候。尤も高下これなき様に,色々割合い候ところ,いちいちには割合い難く候につき,前件の通り割合い候あいだ,この段名主共心得,支配下の者へもなおさら申し聞かすべく候。
1,指銭の儀は水銭同様にこれあり候あいだ年寄ならびに町役人も一同に指銭取り立て申すべく候。
1,当月より毎月,子の暦まで7ケ年の上,取り立て申すべく候。
1,取立ての儀は毎月29日定日に出し,日限相違なく,1日に取り立申すべく候。勿論差出候者共も少分の儀に候えども,前日相心得,取立候者,名主方より遣し候はば,心掛けおき,遅滞なく指出し申すべし。万一,右,日限他出の者は是又,前日に名主方迄,指出しおき申すべし。右の趣,もし相そむき候者もこれあり候はば其旨,役所へ申出すべく候。
1,右、定日に名主方にて取り立て,翌月2日,年寄方へ日限相違なく毎月取納め申すべく候。
1,正月より6月迄取立候6ケ月分指銭は1割の利金をもって,7月より貸金差し出し,7月より12月迄取立候分は翌正月より,差出し申すべく候。
1,右,指銭取扱いの儀は下され鐚,町用金同様に扱い,尤も,預り人より返済の儀も毎年,正月元利勘定相立てさせ申すべく候。
(中略)
1,年々水道の儀は来る未年よりその時に右指銭の内にて遣い,外に指銭出させまじく候。さりながら,隔年,大払い人足ならびに当座修覆人足は来る巳年まで,これまでの通り,面より出させ,翌年よりは人足ともにさらに出させ申さず,すべて水道入用の儀それ以来,永々出し申さず候。
右の趣,心得違いこれなきよう,名主方より支配下の者へ壱人切り,前日にとくと申し聞くべく候事
とある。
また,清水道の水路周辺の草刈りなどは,人夫を雇うばかりでなく,町人の労力奉仕も行われた。その時の1戸当りの割当ては,1戸の間口割りで行われている。たとえば宝暦4年(1754)には小間口2間から4間半は0.5人,5間から7間は1人,8間から14間は2人の割合であった。