笠原水道の基幹部分については寛政の頃はつぎのように分担して保守・点検していた。
36間5尺1寸 藤柄町(滝元~藤柄町) 212間1尺1寸 肴町
45間1尺 同上 159間5尺 本六町目
158間1尺4寸 七軒町 112間1尺9寸 塩町
139間3尺9寸 本二町目 161間3尺7寸 本七町目
1間2尺 本二町目と本四町目 115間5尺 曲尺手町
165間 8寸 本四町目 436間4尺 八町目 下新町
計 1,707間5尺
武家屋敷の水道についても町方が管理した。その持分を記すと
山野辺主水正様御下屋敷下 下新町 常照寺下屋敷下 下新町・八町目
鈴木石見守様御隠居下 同上 伊藤玄蕃様御下屋敷下 曲尺手町
渡辺九左衛門様持分 曲尺手町 朝比奈弥太郎様下屋敷下 本七町目
今出屋下屋敷下 加藤八郎太夫様下屋敷下 塩町・本六町目
円通寺下 曲尺手町・本七町目 泉屋惣右衛門様下屋敷下 本六町目
乙部金兵衛様下屋敷下 本七町目 額田久兵衛様下屋敷下 肴町
等というようになっている。