2 田見小路水道

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 田見小路(北見町)の崖下に「小沢の滝」と呼ばれる水道遺跡がある。現在もこんこんと清冽な水を湧出しているが,その鑿井の由来,給水の規模等を詳細に示す文献はない。


田見小路水道〔小沢の滝〕(市内北見町)

 天明6年(1786)に出来た水戸の学者高倉胤明の「水府地理温故録」の田見小路の項では,

田見小路より大町へ出る横小路の角,尾場縫殿なる人の屋敷角に,御膳井と称し,井桁は申すに及ばず,覆いまで結構にして,外には矢来をもって囲い,入口に錠をおろして有しが…

 …故老に尋ねても由来も知らず,なぜ人にも汲ませなかったかも判らないと記し,田見小路水道には全く触れていない。

 幕末の郡吏加藤寛斎の編になる「加藤寛斎随筆」には近世初頭の水戸藩の土木利水事業に尽力した永田家の記録を紹介して,その中に二代目永田勘衛門の項に「田見小路井水,山御寺三昧堂井水,天神林・稲木両村引水の術,笠原山より下町への水道(中略)の手段等を献ず」とある。

 山御寺,三昧堂,稲木,天神林等はいずれも現在,常陸太田市内であり,山御寺は久昌寺といい,義公光圀の生母靖定夫人菩提のため建立した寺である。三昧堂はその付属の堂で,ともに稲木村に在った。天神林はその近隣である。水道は久昌寺への給水のためで,それぞれ,遺跡は残っているが詳しいことは判っていない。


山寺水道(常陸太田市天神林町)


清命水道(常陸太田市天神林町)

 田見小路水道にしても主目的は台地下の人々への給水にあったと思われるが,これもまた詳細は不明である。

 故高橋六郎は,昭和14年にこの地を調査されて,永田茂衛門は元祿元年(1688)に施工し,この事業は成功し,委嘱した人々は金10両と籾20俵を永田氏に贈り,さらに滝之山神社を祀ってその恩を長く記念したと記している。新しい史料の出現を望むや切なるものがある。