3 近世水道の技術

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 古代ローマのアッピア水道が出来たのはBC312年,パリの水道は1190年頃,ロンドンの水道が1235年,日本最初の水道の小田原市の早川上水が1545年と見て,日本における水道事業のおくれを嘆ずる向きがあるかも知れない。しかし,これは理由のあることなのである。

 日本はわりあいに雨量が多く,小河川に恵まれ,多く井戸で用は足りた。多少の距離は懸樋で間に合った。

 戦国時代以後,沖積地へ大都市を建設するようになり,水道の必要が生じたのである。土木技術も戦国時代に発達した。民衆を威圧する城,大河川の堤防,大規模な灌漑用水路等がそれで,その技術は水道工事にも応用出来たのである。


近世の水道

 水道にも開渠と暗渠がある。田畑の灌漑用と飲料を兼ねる場合は開渠で,粗石積み,飲料水を主とする場合は石樋,木樋,土管樋,竹樋などを埋設し,用水の汚濁を防いだ。仙台四ッ谷堰用水のように水門を設けて流量を調節したり,福山水道のように沈でん池を作って水質保全を図ったり,鹿児島水道のように部分的ではあるが圧力を加えたり,神田上水,水戸笠原水道のように水道橋を渡したり,辰巳用水のようにサイフォン原理を用いて送水したりしている。しかし,基本的には,当時としては長大な距離を,圧力を加えるのではなく自然流下式で,しかも多くの分岐点を通過させるのであるから,保守・点検には相当な苦心が必要であった。

 導管を堅固にし,加圧式の大規模送水,しかも各戸給水を行うには,総合的な科学の発達を待たなければならなかったが,江戸時代に,わずかな経験をもとに水道を設計・起工し,また保守・点検にあたった人々に深い敬意を表わすものである。