徳川斉昭は好学の藩主であった。天文・地理など原理的な事柄ばかりでなく,製鉄,造船,ガラス製造,揚水機等の技術面にも広く関心を持っていた。
天保12年(1841)着工し,翌年完成した水戸の偕楽園内の吐玉泉と名づけられた噴水,また,桜山の玉竜泉という噴水はサイフォン原理を応用したもので,斉昭の指導下の造成と推察されている。
吐玉泉の井筒は久慈郡真弓山から掘り出した大理石を,経4尺,高さ3尺,井筒の縁の厚さ6寸2分の円筒形に鑿穿して据えた。この井筒からこんこんと清水が湧出するのであるが,この井筒の北側の崖,その中腹に集水桝が埋められている。集水桝には東に9.2メートル,西に28.3メートルの岩で造った集水溝が埋められている。西側の集水溝の端に水量調節用の余水吐出口が設けてある。玉竜泉も同じ構造である。現在にいたるまで茶道を嗜む人びとに名水ともてはやされている。
吐玉泉,玉竜泉は金沢の辰巳用水に比すれば規模において問題にならぬ程小さいけれども,サイフォン原理応用として貴重な例となるものである。