1 結成

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 明治19年,江戸時代からの慣例による水道運営方式を改めて,「飲用水利土功会」を組織した。その規則や詳細については不明であるが,東茨城郡長(当時藤田健)の管理下に属し,10人の評議員を選出して水道経営を分担させ,実務はそれ以前から下市外3か村水道掛(のちに係と記される)の阿部藤吉・小場善介・須藤長衛門(明治20年4月まで,以後は後藤弥平)が従事していた。

 明治22年4月1日水戸(5,052戸,25,591人)に市制が施行され,水利土功会は市長の管理下に入った。初代の市長はそれまで下市戸長であった服部正義が就任したこともあって,市は水利土功会の運営に関心が深かった。明治24年には,水道係に吉田弥一郎・臼井義賢・金子八郎右衛門が嘱託され,体制は一新した。


初代市長 服部正義


水利土功会時代の配水管路図 1,140mm×1,250mm


水道係名(○印は記録に氏名のあるもの)