3 水道修理

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 水道は,水を流している岩樋や木樋の破損があって,汚水泥水が流入するので,水量や水質の維持に大変な注意をしていた。各家庭でも持井戸・内井戸などの水質維持には,当然のことながら神経を使った。明治18年8月から同24年5月までの5年10か月間に,31件の修理願いが水道係に提出されていること,総井戸数は不明であるが約2か月に1個の改修工事があったことは,その事情の現われである。また同期間中に町惣代や人民惣代より,町井戸・町内井戸そして表井戸と表現された道路井戸の修理願が16件もあった。年間2.6個の修理で,道路上の井戸は64個であったから,毎年約25分の1が改修されていたことになる。

 以上のような利用者側の維持修理以外に,全体的な保持管理と運営は水道係の仕事であった。第5節の2で記述した活動以外にも,つぎのような願書の処理もしている。

曲尺手町水道修膳(繕)之儀願

今般曲尺手町ヨリ下流八・九・十町目及細谷村字新町6ケ町ニ至リ,午後2時頃ヨリ水道流水無之飲用水不足致シ,人民共一同困却仕候,然ルニ曲尺手町水道埋メ樋ヨリ同町西側旧下水ニ大井洩水致シ,鍛治町角下水桝形ニ流レ落チ候水ヲ留切,水道水下ニ流シ候ハ細谷村末々迄行渡リ可申ト存候間,不日御検査被為在大至急修膳(繕)被成下度,9ケ町人民惣代一同連暑(署)以,此段奉願上候也。

明治24年1月29日

水戸市大字下市八町目   惣代 中村由兵衛
九・十町目   惣代 石原 金平
細谷村字新町       惣代 瀧田五三郎

  水戸市長 服部正義殿

  (朱書)係リニテ奥書調印致シ善成候也

 これは,午後2時ごろ,曲尺手町より下流の八・九・十町目や細谷村の新町六町目まで水道の水の流れがなくなった。調査すると,曲尺手町水道線の埋め樋が破損して,同町道路の西側にあった旧下水路に漏れ,鍛治町角の下水桝形に流れ込んでいた。そこで水の流れをせき止めると,ようやく細谷村まで流れるようになった。ですから検査をして,大至急修理を加えてほしく,9か町の人民惣代一同でお願いいたしますとある。

 水道工事の届先は,個人の場合は水道係,町全体などによる道路井戸の場合は水道係が連名にて戸長を経由して郡長にとなっている。明治20年11月24日の水道係による根積町・轟町の水道樋管修繕の届「水道樋管修膳(繕)ニ付街路掘割之儀願」によると,宛先は茨城県知事安田定則となっている。これに戸長服部正義が「前書之通願出候ニ付調印仕候也」と付箋をつけて提出されている。その届書に,朱書により「警第39号,願之趣聞届 但着手ノ際其旨所管警察分署ヘ可届出」と,11月29日付で知事より許可があった。このように水道工事でも,井戸そのものでなく道路工作物に対する作業の場合は,水利土功会の管理者にではなく道路取締規則によって,県知事または警察署に提出されている。


水道樋管修理ニ付街路掘割之儀願(明治22年度「願届ケ扣(控)」より)

 明治21年6月5日に水道係より戸長の付箋がついて出された「水道樋管改良及修繕ニ付街路掘割之儀願」は,水戸警察署下市分署長の警部補内海重男宛になっている。その内容は,水道樋管修繕のため街路掘割を,本月8日より百日間雨天順延で実施したい。そのために往復(交通)の支障がないよう注意するので,御許可いただきたいとして,つぎのような9か所が列記されている。

 七軒町柵欄際小修繕

 水門町119間浚渫

 横竹隈112間改良

 本三町目下水改良

 本五町目下水改良

 鍛治町水道小修繕

 曲尺手町水道小修繕

 仲ノ町305間改良

 細谷村311間浚渫

 同120間5尺改良

 これに対して下市分署長は,翌6日第190号文書で「願之趣聞届」と許可している。

 なお,実際の工事は,小場手扣(てひかえ)(控)「笠原上水泉線上之記」によると,小修繕や改良など軽い管理維持には,犯罪を犯したため刑罰として刑務所に入れられ労役に服せられていた懲役者が使われた。水道路全体の泥上げ作業が10日間で延1,367人,1日平均約124人の動員であった。その人夫費は100人につき4円14銭で,内訳は1日7銭(6人),6銭(9人),5銭(16人),4銭(31人),3銭(38人)の5段階があった。こうして実施された工事は,明治20年3月19日に管理者であった郡役所の郡書記が,「銭谷,道(同)心町,新町,中(仲)ノ町,赤沼町,横竹隈,水門町,根積町,瓦谷,山根」などを回って検査している。


藤柄町より十町目までの泥上げ工事(明治19年11月)