明治24年,水道の維持管理について,それまでの水道係の対応に不満を持つ者が出てきたことから改選されて,吉田弥一(市)郎(赤沼町東3番地),臼井義賢(鍛治町15番地)金子八郎右衛門(本四町目18番地)が嘱託された。
新水道係によって招集された明治28年9月5日の下市飲用水利土功会は,10人の議員中半数の5人が出席した。議案は28年度の追加予算案であったが,欠席議員も多く,案の起算基準も明確でなかったことから,調査委員を選出して研究させることになった。その委員に選ばれたのが,本二町目26番地の久保清吉と藤柄町37番地の江幡林蔵・八町目18番地の小岩井兼光の3人であった。(「いはらき新聞」明治28年9月7日)
この時代の飲用水利土功会の経費については,明治29年度の歳入出総予算表と歳入出精算表とが,『水戸市水道誌』と『水戸市勢要覧(大正15年度版)』に記載されている。予算は,歳入が164円2銭5厘,歳出は163円84銭で,差引18銭5厘は翌々年度(31年度)に繰り越しとされている。それが決算表では,歳入は予算が173円6銭3厘,決算で173円77銭3厘,歳出では予算が172円84銭,決算で171円21銭7厘となり,差引2円55銭6厘の残であった。
歳入は,27年度残高26円5銭7厘の繰り越しと戸別割水道使用料からなっている。当初予算で戸別割徴収総額は137円96銭8厘の予定となり,1,250戸から平均11銭の納入計算となる。記録にある戸別割の付記欄1等193戸は,全体の計算上は191戸となるため,印刷のときの校正ミスと思われる。なお,決算時には戸別割納入が142円31銭2厘となっており,当初予算に比べて4円34銭4厘の増収,最後予算に対しては4円69銭4厘の減収となっている。
歳入について29年度をみると,繰越金・戸別割納入金ともに前年度に対して当初予算は59.6パーセント,追加予算を含んだ年度予算で62.9パーセント,決算においても63.2パーセントとなり,約40パーセントの減収であった。
決算に督促手数料の5円40銭4厘が計上されたのは,滞納者181人に対してなされた手数料である。総戸数1,250戸中の181戸であるから,それらは14.5パーセントを占めることになり,手数料が徴収されて実収に直接関係はないようにみられるが,「区域外ヘ転居及滞納處分ノ末缺損ニ帰セシニ據ル」4円69銭4厘の減収と合わせて考えると,大変な経営上の問題であった。また,決算時において,需用費中に備品費を設け「本項ハ督促状板木1枚彫刻代」と30銭,同雑費に「徴収金不足ニテ経費支出ニ差支一時公借金30円ニ対スル利子ニシテ予算外ノ支出」として2円12銭5厘が記録され,それらは総支出の1.4パーセントにあたることを考えると,徴収体制の確立は水道経営上重要なることであった。
歳出については,減収予想を受けて縮小予算となり,土木費のうち需用費(用紙代)と会議費のうちの消耗費(用紙代・筆記用具)が増加している以外は予備費を除いて,前年度の55.6パーセントから95.8パーセントにすぎない。
これらを受けた決算は,当初予算に対して4.5パーセント(7円37銭7厘),年度予算に対しては99.1パーセント(1円62銭3厘)の減となっている。また当初予算と決算とを表にみると,土木費中の樋管費が138.0パーセントと増加している。その内容は,福沢井戸と紺屋町銅樋柵下布石修理やその他緊急修理が多数あったことによる。なお,会議費中の雑費が122.1パーセントと多いのは,30年度予算議案調査費の増加により,土木費中の雑給の多いのは,滞納者に対する督促人夫使用と故障が多くて水道係が工事監督に出る回数が数多くなり日当の支給が増加したためである。これまでに説明した備品費・2つの雑費を除いては,2つの消耗費に特色がある。土木費中では「前年度購入ノ物品ヲ使用シ尚節約シタル結果」,会議費中では「前年度購求(入カ)ノ物品ヲ使用シタルヲ以テ費途ヲ要セス」として,2つの部分で3円40銭2厘の予算額が,決算は2銭となり,6パーセントの支出であった。歳入の全般的減少に対応する時代を超越した方法を,明治29年度の歳入出諸表は示しているようである。