4 補助申請と日露戦争

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 水道区会の議決を経た県費・市費補助の申請は,酒泉温忠市長と鈴木菊太郎市会議長に正式に提出された。これを受けて市会は,明治36年11月21日に申請書の通りに議決し,県庁当局に対する斡旋を市長に一任することになった。

 市長は,水道区会議長久保清吉に資料の提出を求め,29日に関係書類を添えて茨城県知事に申請した。県会は11月7日に開会していたので,議案として上程を願ったが,申請書類の整備に時間がかかり,28日の閉会直後にしか申請できず次年度に延ばされた。

 明治37年2月10日,日露戦争の宣戦布告があり,臨時に地方長官会議が召集されて,地方行政団体の財政を大幅に緊縮することが命じられた。すなわち,地方行政機関は,その経費を節減して国民が軍事費の負担に応じられる余力をつくりだし,不急不要の事業は中止して勤倹貯蓄の美風を育成せよとあった。しかも,実際に,明治38年9月の講和条約成立まで,挙国一致を強調した戦時体制を強化し,陸海軍軍事費17億4,600万円,臨時事件費2億3,800万円の計19億8,400万円を調達するため,増税や国内外債の募集に努めた。そのため,水戸市における水道改修事業も全て中止となり,書類はデスク上に積まれたままとなった。申請書類の提出がたった1日遅れたため,明治39年9月まで約3年間も遅れることとなる。