3 水道臨時委員の選出

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 明治40年2月2日付「いはらき新聞」に,「下市水道区会の解散」と題した6行約100字の小記事がある。それには,下市水道の改修工事は市の事業として県費の補助を受けることになり,市会でもそのために起債の決議をする準備中で,それまで給水事業をつづけてきた水道区会の存続は必要でなくなるだろうとある。

 2月5日には,県当局が県参事会の議決として,水道区会廃止問題について水戸市参事会と市会に見解を求めた。これにより2月13日,水戸市参事会が開かれ,「水道区会条例」の廃止問題が討論された。その討論をもとに,同月16日に市会を開会したが,議論百出して結論は出ず継続議題とされた。

 41年7月2日の市会に,水道関係では条例廃止の件にともなう新体制確立のため,水道臨時委員規程設定,臨時水道部規程設定,水道臨時委員及び臨時水道部給与規定設定,水道臨時委員並び臨時水道部旅費手当支給規程設定など4つの議案が提出された。そのとき市会議長鈴木錬平に,下市町務委員会委員長である大森卯之太郎(のちに市参事会の推薦により水道臨時委員となる)が,水道改築工事を水道部新設によって始めることに関し,つぎのように反対する陳情をしている。

 陳情書

本日,水戸市会へ提案の水戸市水道部組織は,徒らに区民の負担に重きを加え且つ果して該組織が,水戸市水道に適応すべきや否や疑問なき能はず,市会に於て公平なる決議を与へられ度希望に不堪関係各町委員の意見を代表し,此段及陳情候也(「いはらき新聞」明治41年7月4日)

 このようなこともあって議場が沸騰し,結論を出さずに調査委員を選出して,これに検討をを付託した。同委員会は,7月4日に会合し,桧山茂三郎を委員長に選び,原案を修正し,つぎのように市会に報告した。(「いはらき新聞」明治41年7月6日)

1 水道区会条例は廃止すること。

2 水道臨時委員規程中の委員は11名を9名とし,その任期は1年を2年とする。

3 臨時水道部規程中の理事2名・書記2名を置くは,各1名とする。

4 水道臨時委員及び臨時水道部の給与規程中委員の実費弁償額1円を50銭にし,理事の手当を25円とし,技手の手当が50円以下とあるのを60円以下とする。

5 臨時委員及びに臨時水道部旅費手当支給規程中地区外とあるのを水源地と改め,部長の月額10円を削除,技手の月額20円を10円とする。

 7月6日,25名の出席数で,水道関係案件を審議する市会が開かれた。最初に,調査委員会から桧山茂三郎が,検討結果による原案の修正部分について説明した。これに対し大部態,片野文助,森義智,小泉力之介などが,原案については原市長に,修正案については桧山委員にと質問を展開した。

 委員会報告の2について,委員の数は修正案の9名と議決したが,任期に関しては原案の1か年に賛成が12名,修正案の2か年とするに賛成が12名と同数で,議長は採決できなかった。再度,それぞれが意見を述べ議論を展開していたとき,委員会修正案に賛意を表明していた西川嘉兵衛が用事のためにか議席を離れた。このとき大部態が,緊急動議で採決を要求した。結果は当然のように11対12の1票の差で原案に決定したという。その瞬間,議場内には今迄の対立が噓のような静けさがあり,残った議案は委員会修正案通り議決された。

 議決された中には,水道臨時委員の選定方法も規定されていた。任期1年で9名とし,市参事会員より2名,市会議員より4名,公民中選挙権のある者から3名を選挙する。その委員長は委員会において,市参事会より選出された者(2名)より互選することになる。

 市会での4名選出については,下市側が直接の利害関係から水道委員や部の幹部を独占しようとした。議長の鈴木錬平は,上市側1名に対して下市側3名との案を出して妥協を計った。これについて上市側では,水道利害の関係ある下市より委員や主な職員を選出したい希望も理解できるが,水戸市の事業として県より補助を受け,市の責任において起債もするので,下市関係者だけに重点を置いた選出はすべきではないと主張する。工事の公平完全を期すためにも,市参事会や市会での選出は上市下市より平均に選出した方が良いともいう。こうして7月13日市会において,上市2名,下市2名の水道臨時委員選挙があり,つぎのように決定をみた。

  26票  (当選) 吉田弥一郎(下市)

  26票  (当選) 大津金兵衛(下市)

  15票  (当選) 小沼  操(上市)

  15票  (当選) 桧山茂三郎(上市)

   9票        小松崎孝重

   7票        長久保九兵衛

   4票        片野 文助

 市参事会よりの選出については,市長の指名とされたが,自薦他薦の候補者があって決定が遅れた。市長が市会での決定方針と同じく,上市から根本良顕,下市から森司馬彦を選出したい意向を示すと,下市の有志たちの上口組(かみぐちくみ)が反対を表明した。選出方針と根本が水道に理解がないとの理由であり,その話し合いは妥協することがなかった。このことを明治41年7月30日の「いはらき新聞」は,「水道最初の故障」と題して,この間の事情を記述し,「遅延今日に至りしも全く此折合の為めなりと云へるが何日迄斯くてあるべきに」「コンな事では行末の騒ぎが思ひやらるる也」と結んでいる。

 その間の7月27日,選出権をもっていた市参事会が公民中の選挙権を有する者3名について,市会議員の経験者である青物町の大森卯之太郎,七軒町の亀山佐兵衛,蓮池町の藤田大と,下市関係者に決定した。こうした委員の上市下市のバランスもあって,市長指名の1名については上市側が強力に圧力を加え,1名分を確保し,7月末にようやく決定した。結果は表のような下市中心の人選となる。


水道臨時委員の選出状況

 8月2日午後,委員決定を待っていた事務当局によって,選出された水道臨時委員に,翌3日午前9時より第1回目の委員会開催という招集状が発送された。

 議題は,水道臨時委員会委員長選挙,水道部長互選,理事の互選についてで,全委員が出席して投票を行い,つぎのような数となる。

  委員長   7点  森 司馬彦    2点  根本 良顕

  理事    7点  亀山佐兵衛    1点  藤田  大

        1点  桧山茂三郎

  部長    7点  森 司馬彦    1点  大森卯之太郎

        1点  吉田弥一郎

 投票の結果は,人選された結果をよく表現することになり,委員長と部長は森司馬彦,理事は亀山佐兵衛となる。とくに森は,「本業の医師を犠牲に供するも辞する所に非ずと恐ろしき意気込にて前日来盛に運動を試みた」(「いはらき新聞」明治41年8月5日)ほど,下市の水道布設を熱心に進めた1人で,適切な人選であった。

参考 明治41年当時の市会議員:桧山茂三郎・小林元茂・鈴木錬平・鈴木文次郎・小沢一郎・鵜殿七郎・奥山勝次・渡辺清吉・大津金兵衛・吉田弥一郎・佐川甚介・森義智・西川嘉兵衛・根本良顕・片野文助・小松崎孝重・中山徳兵衛・二川宗兵衛・小沼操・島村次男・佐藤五右衛門・長久保九兵衛・猪狩喜平・鶴田庄次郎・吉久保清三郎・角田禎三郎・須藤武之介・小泉力之介・大部態・中根竹五郎.