明治41年5月18日,市当局は水道改良(下市水道)事業のために7月10日に5,000円,7月31日に5,000円と合計1万円の一時借入計画を立て,県に許可願いを提出した。それは,水道改良事業の着工時までに,金融界との交渉では水道公債の借り入れが不可能に近い状況にあったからである。
これに対して県当局は,内務・大蔵両大臣の認可を受けた起債費目に関係する一時借入金の件については,両大臣の再度認可を要すると申請を却下した。市参事会は5月23日に,この決定通告を受けて開き,起工の準備もできない段階にあるときに大金を一時借り入れする必要はないと議決した。
5月28日の市会で,水道改良に必要なる工事費の総額は8万9,842円19銭と提案があって,その変更は可決された。県費補助以外に資金の捻出方法はないので,市は公債を発行することを考えた。ところが,当時は大蔵省が10万円以下の地方債権の発行を禁止し,内務省も年8分から8分5厘以上の地方債の認可はしない方針を言明していた。実際に,年9分の利で借入契約が成立していた福岡市債が,内務省の認可を受けられず宙に浮いていた。しかし,金融界では年9分以下での地方債受入れをする所もなく,水戸市では一時借入金をもって水道改良を始めることに決心を固めた。
9月10日の市参事会で資金の短期(一時)借入れを決定し,同月17日に市会協議会で借入方法の変更にともなう利率の変化について話し合われた。
11月に入ると,内務・大蔵両省に申請していた市債5万9,859円が,年8分の利で5万9,800円として認可された。ただちに市参事会が開かれて償還年次額の変更や借入先について話し合われ,つづいて市会で再審議された。それによって明治41年12月5日に2万円,同42年5月31日に3万9,800円と合計5万9,800円を,日本生命保険株式会社より借り入れた。
明治42年3月の市会で,水道改良事業の設計が変更され,予算も10万9,700円となり,増加分1万9,857円81銭は起債額に加えることになった。その認可申請は県参事会を経て,内務・大蔵両大臣に提出された。同月21日,市参事会は県当局や内務・大蔵両省などの指導を受け,改良設計の変更と起債について研究し,5月19日の市会で設計の不備を訂正して予算を10万5,800円としている。
同変更による改良工事目論見書は,6月3日に内務大臣の認可を受け,つづいて起債についても数日後大蔵大臣の認可があった。そのときの条件は,年8分による市債7万5,600円と県費補助2万9,947円,給水区域内賦課徴収253円であった。
昭和6年に調査された下市水道改良事業時代の借入金は,つぎの表のように14万3,600円あり,その利子だけで3万5,732円55銭となっていた。