工事は明治41年8月4日の事務所開きから始まった。ところが大規模の事業のため,市役所にはこれら作業を遂行する技術者がいなかった。計画書提出だけの限られた内容の基礎調査や設計には,県当局を始めとして一時的に協力を受けられる技術者はいたが,2か年にも及ぶ事業には他の組織からの支援にも限界がある。
41年9月になっても2・3の候補者はあるが,水道事業にとっては適切な者がいないと嘆いている。このころは,各地で水道事業が活発に始まっていたが,どこでもそれらの技術者不足に悩み,工手学校(工業学校)の卒業生を採用して,数か月間研修させるなどして技術員の自己養成を図っていた。水戸の場合は,短期工事のため,そのような技術員養成の時間もなく,また他事業所より技術員を引き抜くこともできなかった。しかし,技術員の良否は,工事全体の成否をも左右するため,大きな問題であった。
11月11日の水道臨時委員会では,早急なる水道路線の実測が必要のため,やむをえず県庁に技術員の派遣を申請することに決定した。そのとき,測量や製図器機具まで借り入れと買い入れについて話し合うほど技術用品をも不足していた。
水戸の水道工事は,請負主義を原則とし,市会が必要と認めた場合に限定して直接の経営である直営とされた。ところが42年2月に,嘱託技師であった県技師の藤崎鍵次郎が,監督体制の不備から請負工事が不安であることを訴えた。とくに水道工事の特殊性から水源地導水管の工事や専売品の購買は,直営か委任者が思い通りにできる随意契約による必要があるとの意見書を提出している。
2月12日,市参事会は,技師の意見書の取り扱い方をめぐって議論が沸騰した。県に依頼した監督技師の意見を無視することはできず,市会の決定も尊重しなければならずと,話し合いは平行線を辿(たど)った。
市会は,6月21日,急きょ18名の出席によって,同月20日の水道臨時委員会や市参事会の結論を一部修正し,水道工事請負資格規定を改定した。それは,工事材料中鋳鉄管・土管・セメントなどに関して,工事明細書に「其製造所を有する者より購買する」とあるのを,請負規定に入れることで,つぎのような文であった。
競争入札又は指名に加はらんとする者は2ケ年以上引続き工事請負業又は物件供給に従事し,且つ直接国税年額100円以上を納むるものとす。
但し,鉄管土管セメントの供給は其物件の製造所を有する者に限る。
これを市会では,直接国税100円以上は多すぎるし,製造所を所有する者などと限定しては請負人も少なくなり,随意契約に等しくなると結論付けた。そして,直接国税は50円とし,且つ以下は除外した。なお,工事請負金額が30円以下の場合などは,市参事会において本条の納税額を減少させることも認めている。