水道の工事は,明治41年8月4日に事務を始めてから,全体を2期に分けて進められた。第1期は,42年6月30日までの測量設計及び水道敷地の買収作業。第2期は,42年7月2日の配水池工事から始まり,水源地工事,導水管・配水管の布設と消火栓や共用栓の設置などが完成した43年6月30日までであった。なお,第2期工事とともに,第1回目の給水申込者に対する私設給水358個分の総延長2万200尺2寸の分水管工事が施行されている。
設計の概要は,「水戸市水道改良工事設計書」につぎのようにある。
水源ハ,東茨城郡緑岡村大字千波字笠原新田地内不動山麓(第1,第2水源)及同郡吉田村大字福沢(第3水源)ヨリ湧出スル泉ニシテ,本市ヲ離ル約1里ノ位置ニアリ。是レヨリ取水シ,特別厚土管及鉄管ヲ以テ同郡吉田村大字吉田地内ニ導キ,此処ニ浄水池ヲ設ケ水ヲ清浄ニナシ,之レヨリ鋳鉄管ニヨリ市内ニ配水スルモノトス。
この改良工事の基本は,水量を確保するための水源工事と,水の浄化を図る浄水池を兼ねた配水池工事,漏水が少ない導水管や配水管布設工事などからなり,全面的改修であった。しかし,当時の技術からは問題の多かった鉄管を多量に使用し,のちに漏れ水のため末端の水道で水量不足となる事件も発生するなど工事に無理なこともあった。