配水池は沈でん池と兼用で,「高水位ハ水準基面上43尺5寸,低水位ハ39尺5寸トシ,形状長方形ニシテ2室ニ区分シ,両室共通ノ受水井及配水井ヲ存シ,1室ノ其容積ハ人口8,000人ニ対シ6時間ノ水量ヲ容ルニ足ルヲ以テ,其2室ヲ合スルトキハ12時間ノ水量ヲ貯納」する体制であった。
受水井は半円形で,それに5個の管口が設けられた。導水管は径1尺の土管が1個,2か所の池に通ずる径8吋の管が2個,それに径9吋の副管1個と径4吋の掃除管が1個である。これらの管は導水管以外,弁室が設けられ制水弁があった。
配水池は,コンクリート製で,防水のため外側全部を厚さ1尺5寸の粘土で包み,上部を木造家屋143坪8合7勺で覆う。大きさは,各室共通で底幅33尺,長さ48尺,深さ7尺である。床面には勾配があって,沈でん物が集まるようになり,そこに径6吋の掃除管が付けられた。また,池の適性水面を維持するために余水吐口も造られた。
配水井は,受水井と同じ型で,4個の管口がある。ここに配水池各室の自動装置受水器より,浄水が径9吋管2本を通って流入する。その他に径8吋の配水管1個と径4吋の掃除管1個があり,弁室を設けて制水弁が装置された。受水井と配水井は,その表面はれんが張りで,外側全部に防水のために粘土が1尺5寸の厚さで付けられる。
この配水池である貯水池の場所に関して,明治42年2月26日市参事会と市会は緊急会議を開いた。(「いはらき新聞」)地形的に池は,東茨城郡吉田村県立工業学校敷地の一部が最適とされ,県に対して換地を提供して入手することになった。県より入手する土地は1,600坪で,県に提供する土地は2,000坪,しかも坪50銭の土地を60銭で買収して提供したことなどが市会で問題になったが,他に方法もなかったため承認されている。
配水池の工事については,明治42年6月18日付の「いはらき新聞」に「水道工事材料入札」として,つぎのようにある。地均(ぢなら)しの工事請負入札は6月27日で,配水池掘鑿工事坪数は1,806坪5合,同盛土工事坪数は314坪8合である。同池の工事用材料購買の入札は同月28日にあり,つぎのような条件があった。
1 鋳鉄管 375トン152
1 土管 5,675本
1 セメント 1,000樽
1 石材 1,508切8厘
1 煉瓦 40,000枚
1 工事竣功は契約締結の日より35日以内とす。
1 鉄管及び土管は同じく120日以内に全部納入するものとす。
1 セメントは納入を3回に分け,最終納入を90日以内とす。
1 石材は契約締結の日より60日以内に全部納入するものとす。
1 煉瓦は同じく70日以内に全部納入するものとす。
1 入札者は2ケ年以来工事請負物件供給に従事し,直接国税年額100円以上を納むる者にして,市町村長の証明ある者とす。
1 保証金は請負金額100分の10以上とす。