3 藤崎鍵次郎技師の調査

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 下市水道改良工事の責任者であった県技師藤崎鍵次郎が,水戸市役所よりの要請を受けて,4月5日に水源地や導水管の調査を始めた。

 その間に,臨時に給水量の増加をして断水や減水の事故を防ごうと,旧水道の湧水などを補助水源として利用した。それでも水量は朝夕の炊事を可能にする程度にしか配水できず,かえって設備が完備していない水源であったため,降雨のあとでは水が汚れるなど問題が発生している。そこで配水池の下位部分の水をポンプで引き上げたり,藤崎技師の指導による応急修繕をしたが,どれも充分な対策ではなかった。

 このころ,明治43年に伝染病が大流行した那珂郡隆郷村(緒川村)で,その原因が井戸水にあると,県当局が日本薬剤師会茨城支部に依頼した調査結果が発表になった。500余の井戸中,1年経過した時点でも10余の井戸は水質に問題があり,強制的に廃棄処分させられた。以上の情報が新聞紙上に発表されたこともあって,下市水道の問題を市当局・下市給水区民両者はますます深刻に受け止めることになった。

 4月6日の市参事会に,つぎのような藤崎技師の調査結果と対策案が提出された。漏水の箇所は水源地より配水池にいたる導水管にあり,その防止には1,700余間全部の修繕を必要とする。布設時の土管に対する水圧試験では異状がなかったので,それは連結部分に発生した故障と思われる。修繕の方法は,導水管全体を掘り起こし,連結部分を粘土で巻き,セメントで固める工法とし,その間の給水は旧水道(笠原水道)を利用して配水池にポンプで流すことにした。その工事費について藤崎技師はつぎのように試算している。


導水管改修予算

 このように,通水後1年もたたずに全面的な改修事業をすることになったことについて,市参事会内部には問題にして責任を追求しようとの意見もあったが,それは問題にしないで結果として工事を認めることになった。ただ,再び同じ問題が発生しないように,慎重な調査をし充分な方法を考えることが決議された。これによって原市長は,県庁に出向き,導水管改修の方法について技術面資金面の指導を受けることになった。

 5月13日,市会の開会に先立って市会協議会があり,下市水道改修案について話し合いがなされた。原案は現在の土管をそのままとし,連結部分だけを改修することを重点にしたもので,改修費は7,509円95銭9厘,断水中の給水費1,992円49銭1厘で合計が9,502円45銭というものであった。これに対して水道区民の意見として鈴木文次郎は,発掘した導水管が完全な場合はそのまま埋め戻し,漏水など故障ある場合にだけ修理を加えるなどして,改修費用の軽減をできるだけ図ってほしいと主張した。両者の協議が成立して,本会議は24人の市議会員の出席で開かれた。原市長によって改修にいたるまでの経過報告と,粘土巻き工法の説明,藤崎県技師を最高監督者とする市技手及び県技手の監督体制,改修費用の内容とくに起債について提案があった。ここでも改修費節減についての意見があったが,緊急改修の必要があったこともあり,原案が可決された。それにもとづき5月17日に市参事会は,藤崎技師の出席をもとめて,工事執行にいたる具体的な事務処理について協議をした。

 起債については,東京火災海上運送保険株式会社との間に年利6分(実際は2厘の割戻しがあったので5分8厘)で6,800円の借り入れが,7月1日に成立し,同2日には現金が送金されている。

 改修工事に先立って,導水管を旧水道利用としたため水質が問題となり,宮城市医と郡司薬剤師が配水池・七軒町・四町目・清水町・赤沼町の5か所で,試験をした。結果は飲用に不適なものはなく,5月17日水質良好と市参事会に報告され,市民を安心させた。