1 水道区民の5つの要求

 明治43年7月25日の通水で,長い間苦しんだ飲料水問題から解放されて安心していた人びとは,半年後の44年早々より断水や減水で再び生活に不安をもった。それが前述の諸行動や対応策となったが,44年5月13日に下市水道区民として,正式に水道に関する意見書を市参事会と市会議長小林元茂に提出した。

  1 水道常設委員廃止ノ件。

  1 現今ノ給水時間ヲ午前4時ヨリ午後12時迄トスル事。

  1 水道改修工事ニ就イテハ区民中ヨリ委員ヲ出シ市参事会監督ノ下ニ立チテ完成ヲ期スル事。

  1 改修工事完成ノ上ハ水源ヲ拡張シテ煙草製造所及ビ水戸停車場ヘモ給水セン事ヲ望ム。

などが,その主なものである。


明治44年5月15日「いはらき新聞」

 常設委員会廃止運動は,水道臨時委員会の活動を引き続いだ組織に対する,下市水道区会の責任追及から始まったものである。同委員会は市会,市参事会,公民より選出された3種の委員より構成され,水道関係問題の処理に従事していた。ところが水道施設の予想外の故障続きにより,同じ下市区民としての立場もあって公民より選出されていた金子八郎右衛門が引責辞職し,つづいて市参事会よりの森司馬彦,公民よりの亀山佐兵衛,市会よりの吉田弥一郎が辞職している。

 5月22日の市会で,原市長は市会選出水道常設委員欠員の補欠選挙を提案した。議員の鈴木文次郎は,下市区民より同委員の廃止意見が提出されていることから選挙は延期すべきであると主張した。両者の間に熱心な意見の展開があったが,妥協することはできず,採決の結果選挙することになった。敗れた下市関係議員が,傍聴していた下市水道区民に迎えられて退場したため,残った議長を入れて16人という定数ぎりぎりで投票し,14対1,保留1の得票数で吉久保清三郎を選出している。

 下市議員以外の議員や市当局の考えは,同委員会の問題は制度や組織そのものではなく,下市区民の主張するような無用の存在ではなく,それを運営する委員である人の問題であるから,選出の方法などを研究すればよく,廃止する必要はないとある。

 公民より市参事会が選出することになっていた委員2人についても,従来下市側を中心として選考していたが,これもまた委員会無用論を展開している下市有志に依頼もできず,欠員の体制が長期に続いた。水道問題が多発し,その存続に関する重要な時期でもあったため,5月末には下市選出市会議員が参集し,区民会幹部に江幡林蔵・金子八郎右衛門を公民側委員にする妥協案を提示した。これに対して市参事会の選定権を侵害するものとか,区民会での廃止決議を無視する行為であるとか,各種の反対意見がでて混乱に拍車がかかった。