3 下市の十五夜会

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 明治35・36年ころ,下市の有志は地区発展のために寄与しようと文明会という社交団体を創設した。それがのちには選挙問題などで対立し,上口(かみぐち)組と下口(しもぐち)組に分裂した。

上口組は七軒町の笹島清兵衛,本一町目の大津金兵衛,本二町目の鈴木文次郎,水門町の村田博などを中心とした有志で,下口組は曲尺手町にあった下市銀行の関係者である川崎町の神永清,曲尺手町の広瀬賢之介,本四町目の金子八郎右衛門,東台の鈴木錬平などの有志からなった。明治41年7月に,市長が水道委員に市参事会より2人を選出するとき,下市よりは森司馬彦,上市よりは根本良顕をと提案した。上市の根本の選出に対し,下市上口組が反対し,市長がその人選を白紙に戻した。このような政治的圧力を持つ勢力が下市には2つも存在したのである。

 それが上市地区の発展と下市水道をめぐる諸問題の発生によって,地区有志の大同団結が必要となり,明治44年に十五夜会を組織した。十五夜のお月様のように明朗な社交団体を理想とするもので,市立高等女学校の誘致や各種企業の創設など下市の発展に寄与した面は大きい。

ただ,のちには市会議員や商工会議所議員の公認候補を決定したり,各種選挙などに参画して政治運動を中心とするようになっていった。

 このように経済団体親睦会から政治団体に移行する試練の時期が,柵町水道延長問題の時期でもあった。この反対運動を展開する過程の中で,十五夜会はその基本組織となり,町務委員会を通したり,下市出身市会議員の組織であった下市公民同志会を支援し,下市区民を動員した。

 下市水道の問題は,このように下市内部の政治的事情もあって,解決までに長い時間が必要であった。