明治30年12月24日,資本金5万円で,水戸市曲尺手町21番地(かっての浜田電車停留所前で現在本町三丁目)の所に合資会社下市銀行が設立された。
明治41年6月の役員は業務担当が田沢守政と藤田大,監事は広瀬賢之介,大正2年の『茨城県銀行同盟録』によると頭取神永清,業務担当社員鈴木錬平,監事広瀬賢之介とある。大正8年1月27日に鈴木錬平は辞職し,同30日に奥山勝次が就任している。神永清は明治31年から37年まで,2代目市長小宅時正と3代目市長酒泉温忠に仕えた助役であり,鈴木錬平は明治31年から同43年,奥山勝次は同37年から大正14年,広瀬賢之介は明治25年から同31年までそれぞれ市会議員であるなど,この銀行関係者は市政に参画していた。
銀行の利用者は,本六・七町目の穀市場関係者や七軒町の古着市,裡七軒町の煙草市場,青物町の青物市場の関係者が多かった。そのため大正9年3月に始まった米穀・綿生糸の大暴落に影響されて営業が不振となり,同10年8月10日に土浦五十銀行に合併されている。