4 常磐線新町踏切下の漏水

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 第4水源設置後の給水量の増加をみて,区域外であった常磐線柵町の踏切近くまでの配水管を延長しようとする話題がで,それまで水道を無視つづけていた東茨城郡役所よりも布設の申し込みがあった。水道もようやく順調に給水し,下市給水区民の生活も安定してきた。

 ところが大正2年6月ごろから,細谷地区配水線の水量が減少してきた。導水管漏水で大問題をかかえたこともある市水道課では,原因の早期発見と故障修理のため徹底した調査を開始した。その結果,漏水の個所が常磐線の細谷新町の踏切付近にあることが判明した。

 鉄道側の調査でも,この部分は線路の沈下がひどく,常に砂利を入れて修理に注意していた所だという。

 踏切の個所は,汽車が通過するときの震動が大きく,管に亀裂などトラブルの発生が予想されたため,配水管3吋に9吋管を冠せ,地下6尺の深さに埋設してあった。この踏切は,当時,1日に60回以上も上下の列車が通過したこと,予想以上に地盤が軟弱であったことなどもあり管の接合部(ジョイント)に震動が直接作用し,亀裂が生じたらしい。

 工事は,踏切という特殊な場所であり,大改修問題の後でもあったため,市当局は重要視して原市長と長谷川助役の現場指導下に,大久保技手を中心として直営で行った。ただ,地盤に対する基礎工事を堅固にはするが,他に震動の影響を波及させないような方法や程度について,その実験例など参考がなかったため,大変に悩んだ。

 工事の最大の難問であった踏切の線路直下の配水管交換は,7月8日の深夜に実施され,その部分の接合は特に念を入れてなされた。この結果,細谷地区配水管に対する送水は,9日の早朝から始まり,朝の炊事には支障はなかった。

 このような日常生活に対する混乱や不安が表面化しない早い段階で,送水についてのトラブルを解決する姿勢が市水道課に生まれたのは,明治44年から約2年間も続いた水道大改修問題という厳しい試練があったからである。このような給水に対する基本的な姿勢は,水戸市水道関係者に代々引き続がれ,いろいろな場面で表出し,幾多のエピソードを残している。かって,毎年実施された全配水管の洗浄作業などは,他の水道事業体にはほとんどなかったとされるので,このこともその一つであろう。