明治44年5月に下市水道大改修問題が展開していたとき,水源も将来は給水区域内人口の増加などによって不足することも考えられるとの議論がでてきた。市当局は,導水管など故障原因を追求していた藤崎技師に依頼し第1・第2水源地に近い笠原新田字向山を候補地として,補助水源としての可能性を調査させた。
当時,下市水道の水源は笠原不動の第1水源を主要水源とし,他に第2・第3の補助水源があって充分給水に余裕があり,漏水の改修工事の完成時点では不足も生じないと思われた。ただ,煙草製造所の完成も近づいたことにより,給水量を確保しておくために補助の補助として第4水源を大正元年11月に第2水源の南方約60間の所で2から3尺高い場所に試掘を開始した。
設計では横穴を掘り,矢板工事で水を堰き止め貯水溜に導き,第2水源に導水する総工費450余円の工事で,3,456立方尺の水量を確保するものであった。
11月の段階で試掘は成功し,水源の位置が高かったために水堰工事の必要はなく自然流下で,第2水源に導水が可能であった。これにより経費100余円が節約できる見通しとなり,大正2年2月には水源工事も導水管工事も完成し,3月5日に導水管の水圧試験も無事に終了した。それ以来貯水池でもある配水池では,水が溢れて捨てるほどになった。
以上,導水管工事と水源拡張など下市水道竣功後の水道問題が,2年越しの工事によって解決されたことを記念して,市民との融和を計るため,水道委員会は下市水道水神祭の催しを3月17日に計画している。
なお,この時期に水戸市は水道改築工事費として,明治44年7月1日に東京火災海上運送保険株式会社より6,800円,同45年6月7日に水戸百四銀行より1,000円,同25日に大同生命保険株式会社より3,300円を借入している。