東柵町に対する水道区域外給水によって,区域隣接の各地区より水道延長布設願が多く提出されるようになった。とくに東柵町と同じ地形条件にあった柵町では,内堀の埋立て問題とも関係して,市水道配水管の延長布設の希望が強かった。
市水道係も,柵町地区は給水区域外ではあったが,同地区が上市下市の接続地点で,また水戸市の玄関水戸駅が存在するなど重要な地であり,住民543戸で2,041人の保健衛生上・防火用水上の問題が大きかったために,工事の可能性を調査した。それによると給水人口の増加に応ずるためには,より安全な給水量の増量を必要とする。そのための水源拡張と配水池の新設,配水管の布設の試算額は約1万円であった。
これら水道延長計画は,大正3年5月18日に赴任した6代目の市長川田久喜が特に熱心に進めた。川田市長は高知県出身であったが,明治20年ころ茨城県の土木課長として水戸に居住したこともあって,土地の事情に理解が深く,適切な土木事業を展開したのである。
川田市長の柵町水道延長計画を知った下市水道給水区では,給水に対する不安があったこともあって反対を表明した。理由の主なものは,当局者の発表している水源よりの湧水量が信用できず不足する心配があること。延長工事を継続工事として,本年度(大正3年)においては配水管の延長で,来年度(大正4年)にそれに付属する必要設備の配水池工事をすることは貯水量に不足が生じる恐れがあること。配水管が9吋となったのは,8,000人に対する給水が基礎となって計算されている。これを延長して1万人に供給したときには,従来と同じ9吋管を使用すれば水圧に異状を生ずることなどであった。
下市地区では,このように問題があったため,市会議員や各町務委員などが中心となって水道研究会を組織し,反対運動を展開した。8月31日には,その会員である江幡林蔵・大森卯之太郎・四ッ倉清八・安井視三郎・林桑次郎・永井直次郎・大森宗介らが,町務委員の代表者として市長と交渉した。双方の主張は平行線で交わることがなく,断絶寸前に話し合いだけは継続することになった。
市では9月1日に予定した延長問題を審議する市会を4日間延期し,水道研究会では2日に肴町集会所で報告会を開いて市の計画について再び協議することになった。
なお,市当局は下市給水区民の延長反対の最大の理由が,湧水量に関する点であることから,改めて給水量の検討をした。下市水道が採用した1人1日当たりの計画給水量3立方尺は,その当時の全国各市の水道給水の実況を参考としたもので標準的であった。その後第2水源池の改造による水量の増加で,8月31日調査では1昼夜に4万2,456立方尺の湧水が確認された。これを新しく給水しようとする柵町を入れた人口9,750人で計算すると,1人1日の配水量は4立方尺35となる。これを計画給水量の3立方尺で計算すると1万4,152人に供給できることになる。この試算をもとに水道委員会と市参事会は,延長計画案を可決していた。
それでも市当局は,下市給水区民の反対運動を無視することをせず,納得を得る方法を模索した。その中で,最大の問題点は湧水量の具体的数字であるとして,9月2日から4日にかけて現地で調査をした。2日には市長と大田水道課長・大久保技手・谷書記が,3日には市会議員と水道委員が立合い,下市町務委員と有志にも視察を要請した。市当局や市会関係者・商業会議所会頭・水戸警察署長を始め市内各界20余名の有志の立会いによるこれらの検査では,第1水源が1万2,709立方尺44の湧水量,第2水源が2万131立方尺2,第3水源が6,208立方尺568,第4水源が2,911立方尺68で,合計4万1,960立方尺888の湧水があった。これは計画書中の4万2,456立方尺より496立方尺減水であったが,全体としては問題になる差ではなかった。このとき下市側市会議員のなかには,1秒間の湧水量をもとに水量を計算し,市算定量との差を問題にする者もいた。