9月11日の水道調査委員会の協議を知った上市側市会議員と有志たちは,柵町地区に配水管を延長することが可能であるとの結論に達した。すなわち,全面的に原案賛成の意思を固めたのである。
これに対して下市側は,守勢の立場を強化する必要を感じて,9月12日に下市水道区民一同として秋山誠明市会議長に陳情書を提出した。内容は,水道区域の拡張に基本的には反対はしないこと。現在の湧水量の状況では現給水区域の給水だけでも断水の恐れがあること。本年(大正3年)盛夏に,水門町と江戸町では毎日午後5時から同6時ごろに減水があったのはそれを証明すること。専売局煙草製造所が完成すれば,その従事者の移住もあって人口は約1万人となるので,水使用料は激増して水不足となるのは明白であること。戦争開始(大正3年8月23日ドイツに宣戦布告・第一次世界大戦)後の諸材料の急激な騰貴で,現在は起工の好機ではないこと。以上の諸点により,柵町住民の衛生問題も急を要するであろうが,大正5年まで延長問題を延期して,充分なる調査研究を重ね,安全を期してほしいとあった。
上下両市有志たちが,水道問題に関してその意思を明確にした9月12日の午後2時半に,継続議案になっていた水道延長問題を処理する市会が開催された。出席議員は26人であったが,これを監視するように下市水道区民と柵町住民が議場に入れないほど傍聴におしかけていた。
最初に議長が,下市水道区民提出の陳情書を朗読し,つづいて本題に入った。高橋純によって水道調査委員会の調査経過の報告がなされた。
委員会は数回を重ね,招聘の小野技師に就き実地調査の結果及び之れに対する諸般の意見を聴取したる上,現在の状態に於ては延長工事に差支(え)無しとの理由の下に原案及び付帯案を可決せり,尚委員7名中2名の少数意見あり,それは湧水量不確定,学術的計算と実地の状態に於て水量検定に差ある等幾多の不安心伴ふに依り,先づ工事上の順序として配水池の設置を先にすべしといふに在り(「いはらき新聞」大正3年9月13日)
つづいて金子八郎右衛門が少数意見を説明し,その終了とともに下市側議員9人中8人が,議事進行を阻止するために議場より退場してしまった。その様子を見ていた上市側は,反対論者の断水や減水の心配は水源との関係ではなく導水管の問題であること,下市区民は水道を濫費してはいないのか,下市区民は水道を自己の独占の財産とみているのではないか,水量に余裕があるのに他に分与しないのは公共物の意味が理解できないのではないかなどの批判をした。
下市側で1人だけ残っていた神永清は,これらを聞くと,発言を求めた。下市に住居するも掘井戸を使用しているので,この問題には公平な立場になれた。それよりすれば市長の誠意も,調査委員会の誠意も認められるが,実際の状態と学術的調査結果が一致しないこと。水道使用人数の計算が明確でないことに問題がある。下市水道区は1,668戸あり,1戸平均5人4分として実に9,007人に給水している。この他区域外の給水をしている東柵町450戸や煙草製造所の外来通勤者など約1,200人にも給水している。ところが,市の理事者の発表する給水人口はそれより少なく,実際とは大きく相違する数字である。これらの不一致を先ず正す必要があると。
これらの発言が終了すると神永も,先に退場した下市議員に倣って退席した。再度の議事中断に上市側議員は感情を害し,下市側の不誠実を責めたが,相手はいないので反論はなく議場内には空しさだけが残った。議事は混乱し,その整理ができなくなっていたとき,水谷藤助が市長に改めて決意を質した。川田市長は,下市区民の理解を得るための最善の方法は尽くしたと信じているので,たとえ区民の感情を害しても可決されれば実行すると回答した。そこで,下市区民に大きく関係する水道給水区域の変更を,上市側議員だけで満場一致により議決した。こうして1万人給水計画は成立した。時間は1時間20分であったが,傍聴人たちは激流に巻き込まれた小舟のような状況で,少しも長くは感じなかった。そして全市を駆け巡った大問題が,理想的ではなかったが,解決した思われたことで,少しの疲労感と快い興奮状況を味わった。
大正3年10月1日より給水区域に編入となった地区は,東柵町一円,柵町の内大手橋下道路より水戸停車場に至る道路左側線より下市以東一円33番地の3と35番地の1,大字浜田の206番地より218番地までであった。