6代目の水戸市長になった川田久喜は,大正3年5月に東京より着任して市内を視察し,上市地区の飲料水に問題があることを知った。都市の近代化に上水道が絶対に必要であるとの持論であった川田市長は,柵町延長問題にも積極的な姿勢をみせた。
大正5年5月3日に笠原水源地官有林の無料貸与を出願し,5反5畝1歩を10か年間貸与の許可を受けた。大正6年12月7日には水道給水区域の拡張を議決して,柵町配水線より奈良屋町・宮下の一部そして柵町の一部に給水した。大正10年10月には柵町より水戸専売支局煙草製造所まで道路を新設して,配水管を延長した。同11年8月には水量不足の心配があったため,第3水源池の修繕をするなど,常に水道に対する関心を態度で示している。
このような川田久喜の市長在任中,水戸にはいくつかの大火があり,それに対応して消防施設の充実があった。とくに大正7年3月25日の上市東部の火災では,大きな被害がでている。
午前9時30分,汽車の煙突より飛火して上市奈良屋町の家屋が炎上した。当時は南よりの強い風があったため,火は黒羽根町に移り,南町・元白銀町・仲町・大町・田見小路の一部を焼き,午後6時に鎮火した。水戸郵便局・水戸地方裁判所・水戸高等女学校・水戸連隊区司令部やいはらき新聞社などを始めとして496戸が焼失し,178万7,000円の損害を受け,鉄道院から10万円の見舞金があったという。
このとき消防組は,上市各部は西方から,下市各部は東より延焼防止の作業に努めたが,水利の便が悪かったため充分な活動ができなかった。
このような水利の問題から大災害となったことを知った川田市長は,自分も仲町に居住して被害を受けた経験をもとに飲料水の問題とも合わせて,ますます上水道布設の決意を固めた。大正9年度予算に,水道調査費を計上したのもこのような体制確保の出発である。
なお,この大正時代の消防関係は,つぎの略年表で理解できる。
消防関係(明治末年から大正年間)
明治42年9月14日 水戸市消防組3代目組頭に桧山茂三郎,上市部長に鈴木正路が就任
警備費決算額2,810円68銭8厘
明治44年3月 下市に消火栓を設置
明治44年6月20日 柵町有志が消防器具を寄付
県令第253号で460人の組定員,5部制となる・上市は第1部(105人,ポンプ3台),第2部(109人,ポンプ3台),第3部(71人,ポンプ2台),下市は第4部(104人,ポンプ3台),第5部(71人,ポンプ2台)
大正元年11月6日 桧山茂三郎の退職で,第1部長鈴木正路が組頭代理を兼務
大正3年1月31日 警察部長より水戸市消防組各部に金馬簾1条の使用が認められる
大正3年8月4日 水戸停車場火災での消防組の延焼防止の働きで,各部に金馬簾2条の使用が認められる
大正5年11月 上市柵町に消火栓設置 鈴木正路が4代目組頭に就任
大正6年10月25日 下市有志がガソリンポンプ1台を寄付―それまでは手押ポンプ使用,県告示第383号で6部制となり32人を増員する
大正7年3月25日 汽車の飛火で上市奈良屋町より出火,黒羽根町・南町・元白銀町・仲町・大町・田見小路まで496戸が焼失する
大正8年2月 上市有志がガソリンポンプ3台,川崎銀行水戸支店と茨城電気株式会社が1台ずつ寄付
有志が消防用貯水池を市内に37か所,東照宮境内に1か所設ける
大正8年10月9日 県告示第253号で11部制となる5代目組頭に金沢源助が就任
定員(組頭1,部長11,小頭31,消防手390),ガソリンポンプ7台,器具置場は第1部が馬口労町と谷中,第2部が泉町,第3部が南町,第4部が柵町,第5部が鉄砲町,第6部が七軒町,第7部が材木町,第8部が向井町,第9部が下金町,第10部が肴町,第11部が青物町
大正8年11月9日 金馬簾2条の使用が認められる
警備費決算額 4,282円42銭
大正9年2月10日 常磐公園で組員の永年勤続者,功労者300人を表彰
大正9年3月 上市柵町有志が三ノ丸小山田邸内に2,000石の貯水池を設置する
柵町停車場前に6吋鉄管を布設して自然流下の消火栓とする
大正10年2月 下市有志が青物町の消防詰所脇に高さ65尺の鉄柱火の見櫓を建設する
上市でも市毛谷衛門が75尺の鉄柱火の見櫓を寄付する
大正10年4月12日 午前3時,上市柵町より出火,68戸焼失
警備費決算額2,853円52銭
大正11年 柵町第4部に自動車ポンプ1台を寄付する
警備費決算額9,318円33銭
大正12年 火災回数5件,焼失8戸,損害39円1銭
警備費決算額9,519円36銭
大正13年 自動車ポンプ1台を購入6代目組頭に中田彦太郎が就任
警備費決算額31,231円22銭
大正15年 消防施設(貯水池市設81個,私設7個,火の見14か所)
大正15年5月5日 午前2時,上市向井町一町目より出火,138戸焼失―井戸が深くて使用できず,貯水池も使用つくして,鎮火できず
昭和3年 第4部を廃し,市役所内に常設消防部を置く
以上のように明治・大正時代の消防組は近代化の過程にあった。
消防組の地区割体制,消防手が押して現場にかけつける腕用車につけた雲龍水よりガソリンポンプの導入などはその主なものである。