2 顧問茂庭忠次郎

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 全市水道布設が認可される見通しとなった昭和5年の6月に,市当局は工事遂行のための臨時水道部の構想を固めた。総員25名前後とし,これをリードする首脳部として事業計画の推進者であった岡田卯之助を主任技師,水道界の権威者である元内務省技師の茂庭忠次郎工学博士を顧問にする案である。


昭和5年8月1日「いはらき新聞」

 ところが8月25日の水道調査臨時委員会では,経費節減のため専任部長は設置せず,市当局の考えた専任顧問体制も否決してしまった。市の理事者は,水道布設は大工事のため,当時の水道界における最高権威の1人といわれた茂庭忠次郎を専任の顧問として,事業全体の相談役と考えた。委員会は技師長がいるのでその上に顧問を置くことは指揮系統が混乱するし,贅沢であるとの主張であった。

 以上の報告をもとに,市参事会が9月3日に開かれ,水道布設臨時職員に関する件が話し合われ,9月9日の会合では水道事業に対し,茂庭忠次郎を顧問,県の土木課長岩崎雄治と同衛生課長熊野誠治を嘱託にすることに決定した。なお,それぞれの技手や書記などの任用は市長に一任することになった。


昭和5年9月10日「いはらき新聞」

 9月25日,市当局は茂庭忠次郎工学博士の来水を待って,正式に臨時水道部の職員の任命をした。顧問と嘱託はつぎの通りである。


  茂庭忠次郎

   水戸市水道工事顧問に嘱託す

   年手当金3,000円給与

  地方技師 岩崎雄治

   水戸市水道工事事務を嘱託す

   年手当金1,000円給与

  衛生技師 熊野誠治

   水戸市水道工事事務を嘱託す

   年手当金300円給与


 茂庭忠次郎は,明治13年6月に仙台市に生まれ,同37年7月東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し,大学院で衛生工学を専攻した。のちに東京市区改正委員会より東京市下水設計調査を嘱託され,40年4月には名古屋市水道技師となった。

 大正7年8月には内務技師となり土木局の調査課と技術課を兼務し,同8年7月には工学博士となり,同12年より1年間欧米に出張し,土木学会や同会議に日本代表として出席した。

 大正13年3月から昭和2年6月までは復興局技師として,東京第2出張所長を勤めた。

 昭和2年7月に東京府江戸川上水町村組合技術顧問になってからは,図のように上水道は国内で48か所,中国で7か所も関係し,下水道では25か所に顧問などとなって参画した。水戸市で顧問を依頼したのは博士の仕事としては14番目になり,年齢は50歳で円熟時代であった。


茂庭忠次郎の参画した上・下水道の場所