水戸市の全市水道布設が認可され,工事に着手しようとしていた昭和5年は,昭和恐慌が激化した時代であった。市が内務・大蔵両大臣に昭和5年4月8日に提出した「水道布設ノ緊急ヲ要スル理由ノ追申」でも,「失業者救済」の項目を特設し,つぎのように述べている。
「最近ニ至リ俗ニ西行ト称スル各種人夫職工等ノ出入スルモノ多ク」なり,「到底一小都市ノ能ク多数ノ失業者ニ職ヲ与ヘ救済ノ目的ヲ達スルコト不可能ナリ」のため,「地方一般労働者ノ生活ニ不安ノ念ヲ起サシメ延テ思想上ニモ悪影響ヲ及ホスコト明ナリ」とある。そのため,布設工事をして,賃金41万2,800円を支出すれば,平均賃金を45銭と計算して27万5,197人を雇用できることになる。「今日多数ノ失業者ノ簇出スル秋ニ当リ」ては,それは「九牛ノ一毛ニ過キスト雖モ之レヲ地方的ニ見レハ稍其ノ目的ヲ達スルコトヲ得ヘク」となる。このような水道工事を現時点で遂行することは,「社会政策上最モ緊要欠クヘカラサルモノ」との主張になっている。
昭和5年8月15日付の「いはらき新聞」は,「水道工事を目がけ 大手搦手から就職運動」と題して,25人の職員予定に対し約320人の希望があったことをつぎのように伝えている。
大口は,春に解散した内務省復興局から依頼の奏任技師を初め技手まで一流専門家60余人であった。つづいて銀行や会社を退職した者たちが,市会関係者を紹介者として約100人,市当局に直接に約120人も履歴書を持参した。職業紹介所には,直接市役所に提出する方法を知らない求職者たち約40人が,仲介を依頼して日参した。関係者が履歴を調べると,相当な教育を受け,事務にしても技術にしても専門的な経験者であり,一方的に処理できず市役所に判断を依頼したという。
以上の種々系統により集まった履歴書の山を前にした鈴木市長は,臨時水道部の規模に対して「就職運動者はその20倍近くも来てゐ((い))ます。困った事です」と嘆息をしていたという。