水戸では,自動車の発達で市内の交通体系が変化し,人力車業者が営業不振になったとき,市と警察が相談してその救済を始めた。基本的には公費が支出できなかったため,市内有志に転業のための援助資金として寄付を求め,支給した。
以上の前例があったため,鈴木市長は,水道庶務委員会と相談し水戸井戸掘業組合に対して,転業資金を支給するようにした。全市水道の完成で,井戸掘りの必要がなくなり,関係業者13と従業者57人が失業し,生活上の問題が発生した。市はこれを失業手当として水道費の中より支給することにしたが,一般には水道涙金と呼ばれた。金額は業者が1人当たり50円で,従事者は1人当たり5円程度として計算され,組合長に一括して下付された。
ところが,昭和7年10月9日の新聞によると,「いよいよ奇怪な水道涙金の分配 鈴木前市長の温情が仇 井戸掘業組合不正事件」とあり,組合内部に涙金の配分について対立があったことを伝えている。