3 洪水断水と復旧作業

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 断水の通知は,町内会内部にリレー式で伝達し,官公署と銀行・会社などには電話でなされた。

 これらの決定時,高区配水塔の水位は7.6メートル,低区配水塔は4.7メートルであって,即時断水させる必要はなかったが,非常の場合に備えたのである。また,搭内の貯水量をできるだけ温存するため,両配水塔に1時間当たり50立方メートル以内に配水を制限するよう引出弁の調整が指示された。このため,高区配水塔は翌2日の午前6時現在で3.6メートルの水位を保持できたが,低区配水塔の貯水がなくなったため,同時に引出弁を閉じ全市を対象に配水を中止した。それでも,再配水開始が翌3日の夕方であったため,配水管内の滞留水を利用できた地域では,断水にならなかった。


昭和13年9月の洪水

 ポンプ室屋上に待機中の職員に対して,病気で静養していた中崎市長が,4日午前0時に,水道専用電話で直接に慰労の言葉を伝えてきた。これによって,屋上にいた職員は気持ちに余裕ができ,自分の周囲に関心を持つことができるようになった。9月の初めではあっても真夜中であり,濁流に浸かっての作業で衣服は完全に濡れていたこともあって,寒さに震えている者,濡れた衣服を脱いでいる者,工作に使用した油が付着した布を身に付けている者など様々で,言葉で表現できないほどの珍風景だったという。


昭和13年9月3日「いはらき新聞」

 このように余裕ができて,状況判断ができてくると,闇の中から,濁流の音以外に救けを求める人の声がすることに気が付いた。聞く者の全てが,自分自身呼ばれているように錯覚するほど不思議な気持になった。ただ,現実には,濁流に小舟で出ると疲労もあり,危険で,公務で待機中でもあり行動を始めることはできなかった。

 全員の気持を代表するように田所と他の工員の2人は,日ごろ協力を受けている地区民の救助をしたいと申し出た。正式な許可は,職員の生命にもかかわるためにできなかったが,暗黙の了解で,闇夜の濁流に小舟を乗り出した。その後,どのくらい時間が経過したか,残った者たちが自分が代って救助に出向いた方がまだ安心していられると思うほど経ってから帰って来た。避難が遅れ家屋の屋根に取残されていた9家族で40数人もが,このときの救助活動によって救けられたのである。

 午前1時30分には水道専用電話も不通になり,完全に外界と連絡ができなくなって情報が入らず,不安が高まった。10メートル以上の水位が4時間もつづき,食料はなくなり,先の見通しができない状況下での待機に,全員がいら立ちだした。

 午前6時に,ようやく水位が9.5メートルとなって減水傾向が明確になり,夜明けとともに場内の工作物が姿を見せだすと,復旧作業の準備が始まった。

 減水に応じて,門の堰板を1枚ずつ取外して場内の排水に努めた。午前7時に水位は9.22メートルとなり,同8時に濁水の排水は終了した。

 その後,午前9時に,復旧策にもとづいて,全員を3つの班に分けて作業に入った。

第1班

 第1に第2号濾過池の排水を為し,次に「へどろ」を排除した上,濾過砂を均らし,濾過池へ充水するまでの工作を遅くとも3日午前6時までに完了すること。

ポンプ班

 イ 第1に〔15馬力〕及び〔5馬力〕ポンプを組立て〔ポンプ室〕内の排水を為し,続いて同吸水弁の清掃を為すこと。

 ロ 以上の作業を了したる後,直ちに〔30馬力〕ポンプを取付け遅くも3日払暁までに送水し得るやう復旧工作を進めること。

 ハ 〔低揚ポンプ〕の取付をすると共に〔高揚ポンプ〕2台(高区85馬力・低区40馬力)を取付け,遅くも3日午前8時までに運転し得るやう復旧工作を為すこと。

 ニ なほ配電用〔ケーブル〕も亦浸水の為め全部使用に堪えざるに就ては,ポンプ取付けに先だち5耗4糎線を以て仮配電工事を施行すること。

清掃班

 濾過池引入・引出口及び調整池・高揚ポンプ井を清掃し,翌3日午前6時まで消毒を完了すること。

 以上の計画は,各種工作物の排水と清掃,消毒などに用いる時間を概算することから作られた。これによると,総時間は24時間で,同時作業になれば9時間で終了することになる。実際は,ろ過池のヘドロ除去に時間がかかったこと,作業従事者の数や疲労度合,応急復旧用の材料調達不足,作業が各施設ごと順に展開されたこともあって,送水前の準備だけで3日の午前7時までかかった。

 復旧工事では,配線材料の銅線と碍子などは大日本電力株式会社水戸事務所長より貸与され,排水ポンプは県知事挟間茂と同土木課長杉山宗次郎の援助があって確保できた。


復旧作業

 水質については,全体に泥水が浸入していたため,清掃と消毒,とくに滅菌は完全にする必要があった。そのうえ,充分に水質検査をして安全を確認することになり,県庁に依頼して警察部長と衛生課長の協力を受けている。


各施設の復旧工作計画

 滅菌方法は,つぎのように決められた。

1 クロール・カルキ(塩化石灰さらし粉)を使用する。

2 最初送水すべき1,500立方メートルに対しては100万分の1の割合で注入し,場内の各鉄管を通したあと,調整池・高揚ポンプ吸水井を経て,高区配水塔下の送水本管泥吐弁より放流すること。

3 つぎの1,100から1,500立方メートルに対しては300万分の1の割合で注入し,2と同じ方法で放流すること。

4 最後に500万分の1の割合で注入し,放流すること。

5 その間,反応その他の試験を30分ごとに施行し,第4回の放流のあと,最後の厳重な水質試験を施行し,監督官の指揮にもとづいて高区配水塔に送水すること。

 この作業は,3日の午前8時に高区配水塔下の送水本管に付属した泥吐弁から放流させることによって,開始された。その間,谷川嘱託と県より派遣された検査官の久野技師・矢島防疫官が,雨の中をヘドロで足を取られて泥まみれになりながら,熱心に水質試験に走り回った。放流2時間後に清澄となり,正午に検査官が適の判定をしている。このとき早朝より臨席していた中崎市長が,万全の策として引続き3時間の放流を指示したため,高区配水塔に対する送水は午後3時になった。

 この時点でのポンプの復旧は高区高揚用が220立方メートル,低区高揚用が125立方メートルの送水能力で,1日当たり約8,000立方メートルであった。ろ過池は一面だけの復旧で,そのろ過能力は1時間当たり175立方メートル,1日最大4,200立方メートルとなった。ところが,この時期の必要水量は1日6,000立方メートルから8,000立方メートルで,復旧したろ過能力の約2倍であった。そのため,水道課では,ろ過池全部の復旧が完了するまでは,断水をしないための方法として,日常の水利用を制限することにした。3日の正午に,節水協力のチラシやビラを作成し,配付している。

    御願い

  今回のは非常送水でありますから,洗濯や御風呂は来る7日まで御遠慮下さい。

    9月3日 水戸市水道課

 9月3日の午後5時に,ポンプ運転中止の1日午後11時15分以来42時間目,給水停止の2日午前6時以来35時間目,復旧作業開始の2日午前9時以来32時間目で,高区給水区域に対する洗浄を兼ねた送水が始まった。この作業は,管内の空気を抜く必要もあって,従来は24時間を要するものであったが,非常の場合であったことから,3か所の地点で排気しただけで午後7時に貯水作業を終了させた。

 高区給水区域に対する給水が始まると,1時間当たり300立方メートルから500立方メートルの割で流出した。平時は1時間当たり100立方メートルから200立方メートルの配水量であったから,これは3倍となったことを意味する。そのため配水塔の引出弁を時間当たり150立方メートルの給水量になるよう調節,低区配水塔に対する貯水作業を翌日に延期するなどの対策をとった。

 低区給水区域は,その大部分が下市水道時代からの施設によって給水されて,水害による断水の影響を受けない者が多かった。そのため,高区より給水作業が遅れても,市消防団や青年団になどによって実施されたトラックによる給水程度で,短時間なら切り抜けられた。

 低区配水塔に対する送水は,4日の午前8時に開始し,同10時には同区域内の配水鉄管に充水させることができた。ただ,1時間当たりの給水量が高区給水区域と同じ500立方メートルとなり,復旧ろ過能力1時間当たり175立方メートルを超過してしまった。そこで再び,それぞれの搭に付属している引出弁を調節し,高区給水区域には100立方メートル,低区給水区域には70立方メートルから100立方メートルを配水した。この体制は,水道監視や集納員が各家庭の水道使用を指導し,故障の早期発見に努めたことで維持できた。9月5日には,第2次ろ過池も使用できるようになり,市民生活も落着いて極端な水量の利用も減少して,洪水以前の状態に戻った。

(『水道』昭和13年10・11月号:高橋六郎「茨城県下再度の洪水と水道の防備工作に就て」)