昭和13年の第1次洪水では,浄水場内排水管人孔,専用電話線,市内配水管,旧(下市)水道導水管,吉田配水池土堤などにも被害があって,その復旧費は4,989円と試算され,9月12日の市会で4,800円の起債(利率年4分4厘以内)の議決がされた。
第2次災害については,11月24日の市会で6,982円の追加予算が承認され,その財源として6,800円の起債(利率年利4分2厘以内)が議決されている。
これらが12月17日の市参事会で再検討され,第1次災害復旧費は4,866円,第2次は6,863円となり,その財源として合わせて1万1,600円を起債で,残り129円を一般水道使用料よりと議決した。
以上について,11月15日,大蔵大臣に水道災害応急並復旧事業の資金として1万1,600円を,預金部資金である昭和13年度公共団体普通事業資金からの借入れを申込んだ。県に対しては,11月29日に水道災害復旧工事費起債許可申請を提出している。これに対して,12月24日付で,知事挟間茂が許可を与えた。
市では,市参事会の議決をもとに,12月21日に許可申請の変更をした。
昭和14年5月20日,預金部資金局より,昭和13年度内務省より災害関係資金に対する借入申込の割当決定が1万1,000円と通知された。利率が年3分2厘で,元利支払期日が5月1日と11月1日とされ,融資打切期限を昭和15年5月末日とされている。5月24日には,預金部資金交付決定通知書によって5月30日に貸付ると通告され,同日1万1,000円を受領した。このとき,据置期間は認められず,償還は昭和18年11月1日とされ,同14年11月1日払込利子は148円26銭で元金と合わせて1,294円33銭とあり,最後払込み利子は870円89銭で元金との合計は1万1,870円89銭とあった。
これら13年度の歳入歳出追加分は,1万1,729円の歳入見込みに対して実際は1万1,653円78銭で75円22銭減じた。歳出は1万1,729円に対して,1万1,653円78銭で,75円22銭の減になっている。
昭和16年7月の洪水時には,減水直後の7月24日より応急復旧工事が始まり,8月11日には水道常設委員会が本格的復旧策を立案した。13年時の洪水より水位もあったため,浄水場の水道工作物が汚水に没し,周囲の土堤も崩壊していたので,これらの復旧と完全な浸水防止策,濁流によって破損した市内配水管と旧(下市)水道導水管の復旧工事などである。その経費は,つぎのように工事費だけで3万円と見積りされた。
昭和17年2月23日の市会で,これら水道常設委員会の報告をもとにして,16年度水道費の追加予算3万210円を議決した。その財源については,この時代の水道費予算においては支出不可能のため,全額を起債によることとしている。
3月2日に県に対して,水道災害復旧費起債許可を申請し,同11日に三木経理課長と田所書記が出張して説明するなど手段を尽くした。借入先については,市会において大蔵省預金部または銀行・会社とされたため,3月20日内務大臣と大蔵大臣に対して預金部資金借入を申込んでいる。
この間,復旧工事は進行中で,早急に支払い資金が必要なこともあって,市内仲町にあった株式会社茨城農工銀行より,水道災害復旧事業に使用するとして3万円を借用した。借用は昭和17年4月1日より同26年9月30日まで,年利3分8厘とされている。
それが,5月4日になって,財務局より,申込んでいた16年度災害関係資金の3万円貸与割当通知があった。5月30日に正式手続を終了して現金を受領し,ただちに茨城農工銀行よりの市債償還に,利子分187円39銭とともに払い込んでいる。
応急修理につづいて,本格的復旧工事として浄水場洪水防止の工事が始められた。その中心的工事は浄水場周囲の土堤518メートル(東側126.3メートル,西側125.4メートル,南側130.7メートル,北側135.6メートル)が高さ10メートルであったものに1メートル盛り上げて11メートルとする。勾配は1メートル法勾配平均1,2割とするので底幅も大きくなり,四隅は補強のために築山状に盛土された。なお,西側と南側,東側の土堤外側には,高さ1メートルにコンクリート擁護壁を作り,防水工作をすることになった。
以上の工作にともない,土堤内になる鍛冶場を移転したり,表門と裏門の改造,ポンプ室出入口の防水装置を設ける計画をした。また洪水後の排水にも苦労したことから,5馬力ポンプ室を新設して,場内の雑排水などを排水する装置も計画された。