1 那珂川改修期成同盟会

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 那珂川の洪水の歴史は古く,早くからその対策のために改修が話題となっていた。内務省でも,その重要性を知って昭和3年10月には河川法施行河川に指定していた。明治29年9月に9.06メートルの洪水があった以外に,明治大正そして昭和10年までは大きな災害となるものはなかった。県内での河川の問題は利根川や久慈川であって,那珂川は河川敷の住民数も少なく,渡里村芦山に浄水場が作られるでは工作物も橋以外にはなく,災害の損害額が低かったために,改修が後になっていた。

 それらが仇となって,昭和13年には6月30日の第1次洪水,8月27日の第2次洪水,9月1日の第3次洪水,10月21日の第4次洪水と4回も河川災害が発生した。とくに第1次と第3次洪水は大きく,水戸市街地の受けた損害と市民生活の混乱は,取り替えることができない傷痕を残した。そのため,第1次洪水は昭和13年第1次災害,同3次洪水は昭和13年第2次災害と呼ばれている。時には8月27日の第2次洪水を9月1日洪水と一体として,9月1日を第2次洪水と呼ぶこともある。

 これら6月と9月の大洪水を,水戸市長として経験した中崎俊秀は,洪水の運んだヘドロ処理中の9月4日に,同じ代議士の中井川浩,茨城県議会議長宮原庄助,水戸市会議長鈴木剛次郎の賛同をもとに対策を考える協議会を開いた。中崎市長は代議士で政治家であったため,那珂川改修は根本的治水計画が必要であると中央における政治の場での解決を求めた。内務・大蔵両大臣に対して,昭和13年洪水の救援と治水計画の策定を陳情すると,そのため9月7日には内務省第1技術課長が実地踏査に来水するなど,解決に向かっての動きは早くなった。

 中崎は,このような中央政界に対する運動だけではなく,これらを地域で盛上げる役割と,地域住民に協力を求めるための教育手段として,関係1市3町24か村による那珂川改修期成同盟会を結成することにした。9月8日,関係者の参集を求め,同盟会結成の必要性を説明して賛同を受け,趣意書と規約を定めた。会長には提唱者の水戸市長としての中崎俊秀,顧問に関係地区内の代議士と県会議員を選出している。

 趣意書

那珂川は其の源を遠く栃木県那須に発し,本県に入るや稍中央を貫流して鹿島灘に注ぎ,交通灌漑の利潤頗る大にして長倉,野口,石塚,水戸,那珂湊等の都邑皆其の流域に発達す,然れども豪雨に際しては出水甚しく被害甚大なるものあり,本年に入りては既に3,4の大出水を見,最高水位10米1(平水位1米)に及び,家屋の流失,堤防道路の決潰,農作物の埋没流失等実に惨澹たる災害を被り,加ふるに橋梁は殆んど沈下大破若しくは流失し唯一水府橋を残すのみなり,之を要するに洪水時に於ける水魔が如何に猛威を逞ふするかを知るに足らむ,故に本川の改修は実に刻下の急務にして1日の愉安を許さざるものあり,玆に那珂川改修期成同盟会を結成し関係市町村協力一致以て之が目的達成を期せむとするものなり。


  那珂川改修期成同盟規約

第1条 本会ハ那珂川本支流ノ根本的治水計画ニ依ル改修ヲ期スルヲ以テ目的トシ那珂川改修期成同盟会ト称シ事務所ヲ水戸市役所ニ置ク

第2条 本会ハ那珂川ニ関係ヲ有スル市町村ヲ以テ之ヲ組織ス

第3条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク

     会長 1名  副会長 2名  評議員 若干名  顧問 若干名

第4条 会長ハ会務ノ一切ヲ処理シ本会ヲ代表シ会務ヲ執行ス

  副会長ハ会長ヲ補佐シ会長事故アルトキ其ノ職務ヲ代理ス

  会長及副会長ハ評議員会ニ於テ之ヲ選挙ス

第5条 評議員ハ各市町村長ヲ以テ之ニ充テ本会ノ重要事項ヲ決議ス

第6条 本会ニ書記1名ヲ置ク

第7条 顧問ハ評議員会ノ決議ニ依リ之ヲ依嘱シ会長ノ諮問ニ応ス

第8条 本会ノ経費ハ各市町村ニ於テ之ヲ負担ス

第9条 本規約ハ評議員会ノ決議ニ依リ改廃スルコト得

    付 則

本会ハ第1条ノ目的ヲ達成シタルトキハ解散スルモノトス


同盟会参加の市町村

 同盟会は,水戸市に派遣されて測量の予備調査を始めた内務省測量班の活動に合わせて,昭和13年12月9日に第3回協議会を開いた。内容は,3か月間の事業実施の経過とその経費分担の件であった。この動きに押されて,内務省の那珂川測量班の活動も,昭和14年度は活発に展開された。

 基礎調査中の昭和16年9月には,水位が10.4メートルという,これまでにない大洪水となり,内務省もその緊急性を理解した。その間も,同盟会は,再三再四,政府や議会に那珂川改修の陳情をしてきたため,両方が重なって,17年度予算において約40万円の那珂川改修費が計上された。これは中崎俊秀が作り上げた那珂川改修期成同盟会の5年間の努力によるもので,ようやく那珂川が政府の対象とする河川になったことをも意味する。

 このときの改修は,河口付近の東茨城郡磯浜町(大洗町)字祝町地先の岸にあった岩盤を取り除き,洪水時の流れを良くする目的であった。ところが,その後は太平洋戦争のために改修工事はできなくなり,再び洪水を恐れる生活があった。

 終戦の翌21年からは,5か年の継続事業として那珂川改修事業が本格化した。本流では水戸市細谷町から東茨城郡上大野村(水戸市内)地先の屈曲部の築堤,那珂郡大場村(大宮町)地先の築堤,支流では市内を流れる桜川の改修などであった。