1 水道記念日

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 水戸市の水道は,昭和7年7月15日に竣功式を挙げたことにより,これを記念日として行事をすることが多かった。

 昭和8年と同9年にかけては記録がなくて不明であるが,同10年には通水3周年として各種行事があった。そのころ,専用放任栓使用者は3,570戸,同計量栓使用者は1,260戸,私設共用栓が1,470栓,公設共用栓が700栓で,同10年度の使用料は9万8,067円の見込みと発表されている。これら好成績によって,昭和27年度まで予定していた水道特別戸数割税の徴収は,同10年度で廃止することになる。11年度からは,上市地区は1戸当り平均3円16銭,下市地区は1戸当り74銭余の負担が軽減されることになる。この好成績を市民に広く還元するため,4月1日から5月末日まで,全区域を対象とした特典(無料)工事が受付けられた。このときは昭和7年2月23日決定の「水戸市水道給水ニ関スル特別規程」を拡大して準用し,現に共用栓を使用しているものが,専用栓や計量栓に変更する場合にも特典を与えることにした。

 昭和10年7月には,下市水道大改修25周年,全市水道計画5周年,竣功3周年を記念して,14・15の両日に,浄水場を市民に開放することになった。当時は,現在と交通機関が相違しており,浄水場までの交通は不便であり,参観者がないものと考えられた。そこで,市民の動員策として,2点を考えている。1つは市内電車である水浜電車の袴塚終点から浄水場まで,大型バス2台を貸切って無料で運行すること。他は福引付入場券を,各町務員を通して全市民に配布することであった。このときの賞品は,1等10円の勧業債券,2等浴衣,3等シャープペンシル,4等バケツ類で,等外として絵ハガキと水道一般図が配布された。


昭和11年7月4日「いはらき新聞」

 開放日はお盆と日曜のためもあって,多数参観者があった。14日は午前中に6,000人,午後に7,000人と,第1日目だけで1万3,000人が集まった。そのため全施設が満員となり,6人もの怪我した人がでたという。


昭和10年7月15日「いはらき新聞」


水浜電車袴塚駅での来館者案内状況


浄水場開放日の福引抽選所

 これら開放は,水道知識の普及を主眼にしたものであって,その点では大成功であった。高橋水道課長は,当時,つぎのように語っている。

浄水場というものが市民によく了解されたようです。はなはだしいのは,水道の水は那珂川から取った水をそのまま流しているものとばかり思っていたらしい。そういう方々に対して,今日の企ては,有意義であったと思っている。

 ただ,浄水場係員にとって残念なことがあった。ろ過池のボーフラ退治に飼育していた高級金魚を,1尾50銭で売り出した。見学に来て,関心する人びとは多かったが,売れたのは1日たったの4尾である。残った多数の金魚を抱えて,幼魚を買い入れたときの代金にもならず困惑していた。以後,何回かは参観した子供に無料に配っている。残りは市内の業者に売られ,それが昭和11年には15円20銭,同12年には11円50銭であった。

 昭和11年7月には,水道開設5周年記念として,13日から15日までの3日間,市役所2階で水道展覧会が開かれた。出品物は給水施設模型,各都市の水道ポスター300枚,器具約300点などであった。会場では,配水鉄管より各家庭までの給水工事の実演,県衛生課や水戸警察署の協力を受けた井戸水の水質検査,水道相談所,福引所などがあった。福引は,6月分の給水料納入証によって券を引き,1等は置時計であった。これには空籤がなく,絵ハガキと市内小学生の水道に関する作文集が全員に渡されている。このため,3日間で8,500人が入場し,2,800人が福引に参加している。


水道展覧会の記念スタンプ


水道展覧会の案内版(昭和11年7月)

 このときの小学生の作文集は現存していないが,昭和11年10月25日発行「水道」10月号に,「可愛らしき水戸市水道ファンの云ふ(う)ことには」と題して5人の作文が掲載されている。

  水道

    竹隈尋常小學校 尋四 齋藤テル子

 私たちは,朝起きると,すぐにうがひ(い)をしたり顔を洗ったりします。此の時,もし水がなかつたならどんなでせ(しょ)うか。又少しの御飯をたく事も出来ないでせ(しょ)う。あつい,日中など,もし,水がのめないとしたら,そのくるしさはどんなでせ(しょ)う。

 夕方汗だらけの身體で,家にかへ(え)つて,もしおふろに入る事が出来なかつたら,どんなにつらい事でせ(しょ)う。

 けれども,私たちは,何といふ(う)幸福な事でせ(しょ)う。水道があるので,毎日,少しの不自由もなく,水がのめ顔や手を洗うふ(う)こともでき,御飯もいたゞけます。

 でも,ふだんあまり,不自由を感じないので,つひ(い)つひ(い),水道のありがたい事は忘れ勝になつてしまひ(い)ます。

 それは,今年の春二月の事でした。

 大雪の降つた後で,雪はまだ20糎ぐらゐ(い)もあつたでせ(しょ)う。其の時,運悪く,私の家の水道は,ひどい寒さのために,かたく,こほ(お)つてしまひ(い)ました。

 おゆをかけても,そばに火をおいてあたゝめてもどうしても,とけないので,お母さまは,大そうお困りになつて,おとなりへ,水をいたゞきに行きました。

 ふだんは,そんなに思つてゐ(い)なかった,水のありがたさを,其の時ほど,しみじみと感じた事は,ありませんでした。

 それから,どうしても,出なかつた水道は2日もこほ(お)つて居て,3日目に朝起きて見たら,今度はしゆうしゆうと音立てゝ,水が出たので,お勝手の方は一面に水だらけとなりました。お母さまはすぐ電話をかけて,なほ(お)しに来てもらひ(い)ました。

 水がでなくなつて初めて,こんなに水道が,とまると,不自由なものといふ(う)事が分りましたが,又,水道がはれつして,今度は,出過ぎても,大そう困る事が此の時よく分りました。

 それから,ずつと水道がこわれる様な事がないので毎日,あの時の事を思ひ(い)出しては,一てきの水もむだには出来ないと私たちはこの水道にかぎりない,かんしやの心をもつて水をのんだり,つかつたりして居ります。

  水道の節約

    濱田尋常小學校 尋六 大越 勉

 水道は非常に重寶大切なものである。井戸の釣べが凍つて水もくめない冷たい雪の朝でも水道のある家の勝手では栓一つで水が出るし,火災の場合等どんなに有難いかわからないのである。それにかゝわらず世の中には随分無益な使ひ(い)方をしてゐ(い)る人達も少なくない。

 例へ(え)ば,水道からゴム管に水を通じて道路へ水を流したり,子供等は管で飲料水を面白半分に電柱や塀等にはぢ(じ)いたりする。物を洗ひ(い),口をすゝぐ時でも,無駄に使ふ(う)水の量は,大變なものである。これ等を見るたびに僕は,いつも不愉快を感ずる。僕の家では努めて無益なことはしない様にしてゐ(い)るが,それでも時によると,無用に水を流してしまつて,「ハッ」と思ふ(う)ことがある。又人によっては「いくら無益に使つても,自分で水道料をはらつてゐ(い)るのであるからよいではないか」といふ(う)考へ(え)の浅い人も少なくない,だが,那珂川の水をかく飲料水にまで仕上げるには大變な手数がかゝり,費用も又非常なものである。そしてつまりこの費用も総べて水道を使つてゐ(い)る私達の家々から之を負擔せねばならぬのであるから,それだけ家の損失,市の損失となるのである。又大きくいふ(う)と国家の損失となるのである。か(こ)ういふ(う)考へ(え)の浅い人々がたくさん居ると,水戸市の発展を妨げるのである。(以下略)

  水道について

    新莊尋常小學校 尋三 高岡 朝子

 私の家では,浦和から,水戸へ来て,二三日たつてから,水道をひきました。浦和の家では,ポンプでしたから,水道と,くらべると,水道の方がどんなにべんりだかしれません。ポンプは,いちいちくまなければならないのに,水道は,ねぢ(じ)を,ちよつとひねるとぢ(じ)きに,きれいな水が出て来ます。そして,その中には,ちつともばいきんが,ないのでいくらのんでもえきりや,何かの病気に,なる心配はないさ(そ)うです。水戸では,水道ができたてから,この頃は,大きな火事も出来ないさ(そ)うですから,いくらほど,水道は,いゝかしれません。だから,水道の,水は,たいせつにしてむだにしないように,気をつけなければなりません。手を洗ふ(う)のでも,水を飲むのでも,よくむだに,する人が,あります。私も,一年生の頃は,よく,水道の水を,むだに,しましたが,もうこの頃は,いろいろわかつて,きましたからむだにいたしません。

  水道について

    五軒尋常小學校 尋四 高山 統

 僕達のたのしみに待つてゐ(い)た夏も,おとづ(ず)れました。僕達は青葉,若葉の下に水遊びをしたりします。それには,たいがい暑いから水をたくさん使ふ(う)だら(ろ)うと思ひ(い)ます。僕は其の事について考へ(え)てみました。水道の水を出すことはたやすいので,水と言ふ(う)とすぐ水道からくんでくるや(よ)うです。水遊びするにも水道を使ふ(う)のはよいが,少しでも無駄に使ふ(う)ような事があつたら,大へんな事になります。大本の水を出す所のタンクの中が,空になつて,タンクの中に空氣が入り,鐵管がばくはつしないともかぎりません。これからも,だんだん暑くなつて水を無駄にする人もありますから,注意したいと思ひ(い)ます。それにはどうしたらよいかを考へ(え)ました。せつやくするには水のかげんを計って物へ入れた方がよいかと思ひ(い)ます。

 なぜ,せつやく出来ないのかと言ふ(う)と,かげんをみないで「じやあじやあじやあ」と一時に水を入れるからです。そして,多くなつたのですてます。それだけ水を無駄にするのです。僕達の學校では1,400人あまりの生徒がゐ(い)ます。1人で1リツトルづゝ(ずつ)無駄にすると1,400リツトルあまり水が無駄になるわけです。「水道の栓がしまつてゐ(い)なかつたらみつけしだいにきつくしめて下さい」と。いつも言は(わ)れてを(お)ります。僕が小さい時,大へん水道の水を無駄にしたことを思ひ(い)出します。小さい時,無駄に使つた水道も,せつやくしなければならないことをつくづく感じました。大へんべんりな水道でありますから,無駄に使は(わ)ないように,お互に注意したいと思ひ(い)ます。

  水道について

    市立高等女学校 一年 蘒原 美登恵

 水戸市に水道が引かれてからまだ長くはありませんが,その水道の設けられてから以後,何んなに私達は便利を感じてゐ(い)るかわかりません。ですが私達が日頃水道を意識しないで使つてゐ(い)る場合が多いや(よ)うです。

 朝起きて栓をひねつて水を思ふ(う)ぞんぶん使つて顔を洗ふ(う)時とか,お風呂に入つてゐ(い)る時とかは唯體を清めた心好さにのみ陶酔して,井戸水を外からくんで来て洗面器に向ひ(い)或はお風呂にくみ入れて浴しなければならない苦労などは便利な水道を使ひ(い)なれてゐ(い)るので少しも考へ(え)ません。たまに浄水場の掃除の為に一時断水されるようなことがあると始めて水道の有難味をしみじみ感じさせられるのであります。

 この間私は家の用事で親類の家にまゐ(い)りました。其處は電燈もやつとついたばかりの田舎なので勿論水道などありようはずがありません。私は夜中ふと起きて水を飲みたく思つたので臺所へ行つて見ましたが手桶に一滴の水もありません。考へ(え)て見ると2,3町行つた所に村に一つしかない井戸まで行かなければくめないのです。仕方なく私は其夜かわききつた咽喉の苦るしさをしのんで夜を明かしました。家に居れば水の心配などしなかつた私がその時程水の有難さを感じたことはありませんでした。

 家の水道がこは(わ)れて水が出なくなるや(よ)うな不安を感じて私はその朝すぐ帰つて来ました。帰つて見るとやはり水道は水をあふれる程出してくれました。

 それから私は村の古井戸を時々思ひ(い)出して水を使ふ(う)たびに水道に感謝して居ります。


 昭和12年6月に,水道課は,本年の7月15日が水道工事開始後7年,給水を始めてから5年目になるため,盛大に水道宣伝デーを開催することに決定した。内容は,浄水場開放・映画会・展覧会などとして,それぞれ準備を始めた。

 水道委員会は,6月7日に委員会を開いて水道課の計画を承認し,7月17・18の両日に浄水場開放を決定した。このとき,新しい行事として,水道工作物や家庭の給水状況を対象とした懸賞付写真の募集を決定している。


昭和12年6月8日「いはらき新聞」

 ところが,7月7日に盧溝橋で日中両国軍が衝突し,11日には政府が華北派兵を声明,15日には挙国一致運動が始まるなど,日中戦争が始まった。そこで市当局は,水道利用の普及徹底も必要であるが,時局重大の折でもあるとして,16日に浄水場開放は無期延期としている。

 以後,7月15日の水道記念日には,場内にある水神さんに参拝はするが,特別な行事はしばらくは無かった。


配布されなかった水道記念絵ハガキ

 昭和11年10月25日の雑誌「水道」に,山口松翁が「給水普及の宣伝方法としての一考察」を掲載している。当時,水道の理解は充分でなく,市民衛生や水道経営上からも,普及のための宣伝は必要とされていた。水戸市の場合も,そのために上記のような記念日を利用して,宣伝活動をしていた。それらについて,この論文は宣伝の方法として,恒久的なものと臨時的なものとを提案している。恒久的なものは,学校教育の教材に利用することを,学校管理者と水道関係者で研究せよという。

 臨時的宣伝としては,懸賞や福引で民衆を釣らずに,真面目で真剣なもので,朗らかな方法を考えよという。全国の水道は同一の目的があるので,主婦や一般婦女子を目指して共同戦線を張って宣伝せよともある。

 方法として,専任の勧誘員ではなく,水道従事者が随時不断の勧誘をすること。婦人雑誌や家庭雑誌などを利用し,水道に関する記事を掲載すること。映画や演劇には水道栓を利用してもらうこと。水道宣伝の講演会を開催することなどを説明している。

 以上の論文が,水道関係者の専門雑誌「水道」に掲載されたことは,水戸市の水道記念日の給水普及宣伝などを考えると,その問題は大きなものであったらしい。