「水道協会雑誌」の昭和10年7月号に,有本邦太郎が,「井戸の保存と水質保清」と題し,昭和9年10月に開かれた水道研究会主催の井戸に関する座談会を紹介している。
彼は,飲料水として地表水と地下水の何れが衛生的であるかは,各地における地質その他によって相異するが,どのような地下水も適切なる浄化法を確立しておけば飲料水としての利用可能であるという。
大正12年の関東大震災当時,東京では水道消火栓の多くが断水によって消火・防火の機能を失ない,池水や濠水・下水などの水による防火活動が主となった。以来,防火面だけではなく,水道断水による飲料水確保をも考えた井戸を掘る者が多くなっているとも記述する。そして,昭和元年から同7年までの東京における井戸の水質検査内容をもとに,井戸の有用な保存を提案している。
以上の提案を,真剣に受け取り,実践に移した最初の人は,市水道課長の高橋六郎である。昭和12年は軍事色が濃くなり,4月に防空法が公布され,7月に日中戦争が始まる状況で,彼は水道事業者としての非常時対策を考えた。その一つが,市水道防備要項の作成と非常時訓練となり,他に上水道が被害を受けた時に代替する飲料水や消火用水の確保のための井戸の利用である。
それまで,上水道布設中心で井戸を軽視してきた水戸市民に,水道関係者自身によって井戸の保全方策を呼びかけることになり,同年9月に井戸保存会の設立を提案した。これに積極的に賛同したのが中崎俊秀市長で,その全面的協力によって市内の関係官庁の参加によって10月には水戸市井戸保存会が設立された。
水戸市井戸保存会要項
1 水戸市内ニ現存スル井戸ノ調査保全ノ為水戸市水道課内ニ「水戸市井戸保存会」ヲ置ク
2 本会ノ業務概目左ノ如シ
イ 井戸ノ調査ニ関スルコト
ロ 井戸ノ改良,保全ニ関スルコト
ハ 飲料水並消火用水ノ配分ニ関スルコト
ニ 其ノ他井戸ノ調査,保全ニ関スルコト
3 本会ニ委員若干名,幹事1名ヲ置ク
委員ハ委員会ヲ組織シ前項業務ニ関スル調査ニ当ルノ外之カ実施事項ヲ審議決定スルモノトス
幹事ハ本会ノ業務ニ関スル実務ノ一切ヲ掌裡(理)ス
委員には,市長と水戸憲兵分隊長,茨城県衛生課長,水戸警察署長,水戸市消防組頭がなり,幹事は水道課長で提案者の高橋六郎が委嘱された。
昭和13年4月の国家総動員法公布,同14年1月の警防団令公布など戦時体制の強化,防空演習の実施によって,改めて各地とも消火用水としての井戸保存が急務となった。水戸市井戸保存会でも,その業務の実行のための具体的実施要項を,昭和14年4月に決定している。
井戸保存ニ関スル実施要項
1 井戸ノ調査
(イ)水道課ト警察署ト協力シ水戸市内ニ現存スル井戸ノ総ベテニ対シ,ソノ深サ,水深,湧水量,揚水設備等ヲ調査スルコト。
(ロ)以上ノ調査ニ基キ井戸1個ニ甲・乙2枚ノ井戸カードヲ作成シ,甲ハ水道課,乙ハ水戸警察署ニ於テ保管スルコト。尚ホ其後記載事項ニ変更ヲ来シタルトキハ相互ニ照合シ合ヒ,常ニ各井戸ノ現状ヲ知リ得ルヤ(ヨ)ウ整備シ置クコト。
(ハ)新ニ井戸ヲ設ケタルモノヲ発見シタルトキハ直チニカードヲ作成シ,尚ホソノ記事未詳ナルモノニ就テハ水道課ニ於テ調査ノ上補正ニ任ズルコト。
2 井戸ノ保全
(イ)空襲ソノ他万一ノ場合,市民ニ対シ飲料ヲ円滑ニ供給スルニ留ラズ,消火用水ヲモ確保スルタメ別ニ井戸ノ整備,保全方策ヲ樹立スルコト。
(ロ)水質検査ノ結果,飲料適ト判定シタル井戸ニ対シテハ,ソノ井戸ヨリ非常ノ場合ニ於テ飲料水ヲ需給スベキ集団ヲ予メ決定シ置キ,万一,水道断水スルコトアルモ些カモ支障ヲ来スコトナキヤ(ヨ)ウ準備シ置クコト。
(ハ)市内ノ井戸ノ総ベテハ,コレヲ各消防組ニ夫レ夫レ分属セシメ,然モ各消防組ニ於テハ消防上ノ実態ニ適応スルヤ(ヨ)ウ地域的ニ細分別シ,万一,火災時ニ於テモ何レノ井戸ヲ以テドノ地域ノ消火用ニ充ツベキカヲ予定シ消防井計画ノ万全ヲ期スルコト。
(ニ)消防用貯水池ヘノ補給ハ上水道ヲ使用セズ,必ズ本計画ノ分別ニヨル井戸ヨリ補給スルコト。
(ホ)井戸ハ少クモ毎年1回,各消防組ヲ単位トシ順次清掃ヲ実施シ,以テ井戸ノ浄化ヲ図ルノ一面,水量ノ測定ニモ資スルコト。尚ホ此ノ場合ノ排水ヲ利用シ市内ノ下水清掃ニモ充テルコト。
(へ)消防組ニ於ケル防空訓練マタハ定期演習ニ当リ,放水試験ヲ為サムトルストキハ総ベテ,ソノ用水ヲ井戸ニ需ムルコト。
3 ソノ他
(イ)井戸ノ保全,改良ニ関スル指導
(ロ)井戸ノ水質水量ニ関スル調査
(ハ)前各項ニ付帯スル指導,斡旋
これによって,つぎのような様式の井戸カード(台帳)が作成された。その総数は1,800個で,保存会の目的からみて使用可能の井戸はその70パーセントであった。
これらの井戸は,市内総戸数の26.5パーセントにあり,水質を問題にしないときは4戸当たりで1個の井戸を保有する計算になる。そこで消火用について,現存井戸を各消防組に配分して管理させ,非常時に利用できるようにした。
飲料水のための水質検査では,不適と判定されたものが約43パーセントあった。これから飲料の対象になる井戸は,分布的には粗密があって一定しないが,数字的には8戸で井戸1つが利用できることになる。なお,飲料不適となった井戸の大半は,全市水道完成後に放任されて清掃など管理不充分によって水質が悪化したもので,適切な処理ができれば最小限度の使用は可能とみられた。
昭和14年7月28日には,保存会の活動を強化し,井戸を清掃して随時使用出来るようにする運動を展開することになった。具体的には,現在の井戸の深さ,滞水深及び井水の良否調査。消防池に充水すべき予定井戸を選定し,非常の場合は消防池を調整池として利用するため,その給水できる時間を調査しておくこと。
以上のために,井戸の所有者は警防団と協力し,毎年1回以上清掃をすること。そのとき水は放流することなく,消火池の水量補充に利用すること。当分の間,恒例の警防団の点検は,井戸の水を使用する予定を作ること。防空演習における防火訓練は,水道破壊の場合を想定して実施すること。
また,井戸の所有者に対して,井水が飲料に適合しているかどうか調査し,その表示を門戸にすること。井戸の保存を最良の状況に保つことを要望された。そのために,井戸の保存と改良に関する相談と仲介を,井戸保存会がすることになった。
参考 「井戸保存と整備拡充方策」高橋六郎(『水道協会雑誌』昭和19年11月号)