水戸高等学校は,常盤村に大正9年9月開校された。理科と文科からなり,昭和25年に学制改革によって新制大学に改編されるまで25回約5,000人の卒業生を出している。
この学校には,県下でも早く水泳プールが作られた。その水については,一般市民にも開放するとの約束で,市は上水道の給水を特別に認めている。ところが昭和14年7月の末に,市内の中等学校生が練習に行くと,プールは水が排水されていて使用できなくなっていた。しかも,中等学校水上選手権競技大会も迫っており,練習が一番必要なときに,予定していた市内でただ一つのプールが使用できない状況で,関係者は困惑した。
これを知った市民の中には,特別優遇のプール開放条件が守られないものなら,今後の水道水補給を中止せよと市に申し出る者もいた。水道課が,連絡を受けて調査すると,市に約束をしていた関係者ではない水泳部関係職員が,他に連絡をせずに夏休みの処理の一部として放水をしたことが判明した。
市水道課では,中等学校の選手たちに同情し,水高水泳部に厳重に注意するとともに,通例なら夜間だけ給水で10日必要とするのを,特例で昼夜通しの2日間で満水にした。このプールは,コンクリート製で,幅が12.5メートル,長さが25メートル,水深が平均1.4メートルあり,水量は440立方メートルと計算されている。各選手は,これら給水作業を待って,8月3日の午後には練習を始めた。
昭和17年8月にも,水戸高等学校から水泳プールに対する給水依頼があった。この季節は,水の最大使用時期でもあり,市水道の規模からしても,簡単に給水はできなかった。それは,プールの使用が始まれば,連続使用による汚染ができるため,常に清浄な水を補給する必要があった。その配水体制が施設の状況から不可能なのである。
当時,戦争が激化して,国土が空襲を受ける心配があり,市でも水道施設の破壊された場合を想定した対応策が検討されつつあった。その一つとして,浄水場や配水塔以外に多量の水を確保する手段として,水高のプール利用が話題になってきた。できるだけ補給することなく健康的水泳ができ,飲料水に転換できるような水質を継続する,プール自体の簡易浄水手段の試みが始まった。
方法は,クロール・カルキと硫酸銅の薬品を使用し,細菌と藻類を除去すること,濁度と過マンガン酸カリ消費量の増大を阻止することであった。そのうえ,プールの使用期限を1か月間以内とし,1週間毎にプール全体の2.5パーセントの水量を泥吐管から排水し,その分だけ水道水を補給することにした。単純に計算すればプールの容量は540立方メートルであるから,その2.5パーセントである11.0立方メートルが,1か月に4回で,454立方メートル分交換されることになる。
使用は,8月26日から9月19日までの25日間連続した。その人員は9月4日まで10日間は水泳部員の20名で,9月5日から9月19日まで15日間は一般市民120名に開放された。その浄化後の水質成績は,つぎのように発表されている。(「水泳プールの簡易な浄化手段について」出沢孝之助『茨城県水道誌』・「プールの水質と滅菌手段に就て」高橋六郎『水道協会雑誌』昭和18年10月号)